
はじめに:沈黙を破る宗教2世たち
近年、「宗教2世」という言葉を耳にする機会が増えました。親が特定の宗教を信仰している家庭に生まれ、その教義や価値観のもとで育てられた子どもたち。彼らの中には、信仰を心の拠り所として健やかに成長する者もいる一方で、その信仰が足枷となり、深刻な虐待に苦しんでいる人々が数多く存在することが社会問題として浮かび上がっています。
かつては「家庭内の問題」「信教の自由」といった言葉の前に見過ごされ、声を上げることすら困難だった宗教2世の虐待問題。しかし、勇気ある当事者たちの告発や支援団体の活動により、その深刻な実態が徐々に明らかにされつつあります。本記事では、宗教2世が直面する虐待の現実を多角的に掘り下げ、その背景にある問題、そして解決への道筋を探ります。
1. 「宗教2世」とは?その定義と背景
まず、「宗教2世」とは具体的にどのような人々を指すのでしょうか。一般社団法人「陽だまり」では、「宗教2世もしくは3世、4世など親の宗教から社会的許容範囲を超えた影響を受けた方」と定義しています。[1] 必ずしも特定の教団に限定されるものではなく、親の信仰によってその人権や健全な発達が脅かされている状態にある人々を広く指す言葉です。
彼らが置かれる状況は、一般的な家庭とは大きく異なります。幼少期から特定の教義や価値観を絶対的なものとして教え込まれ、外部の社会とは異なる独自のコミュニティの中で成長します。その閉鎖的な環境が、虐待が生まれやすく、そして外部から発見されにくい温床となっているのです。
2. 宗教2世が経験する虐待の4つの類型
厚生労働省は2022年12月、宗教の信仰などを背景とする児童虐待への対応に関するガイドラインを公表しました。[2][3] このガイドラインでは、宗教的虐待を「身体的虐待」「心理的虐待」「ネグレクト」「性的虐待」の4つに分類し、具体的な事例を挙げています。ここでは、それぞれの類型について、当事者の証言などを交えながら詳しく見ていきます。

2-1. 身体的虐待:教義という名の暴力
宗教的虐待における身体的虐待は、「しつけ」や「信仰指導」といった名目で行われることが少なくありません。
- 具体例:
これらの行為は、いかなる理由があろうとも許されない身体的虐待です。しかし、子どもたちは「これは自分の信仰が足りないせいだ」「神様からの罰なのだ」と思い込まされ、抵抗することさえできずに耐え続けてしまうケースが後を絶ちません。
2-2. 心理的虐待:心を縛る見えない鎖
宗教2世が経験する虐待の中でも、特に深刻で根深いのが心理的虐待です。目に見える傷が残らないため、周囲に理解されにくく、また子ども自身も虐待だと認識することが難しいという特徴があります。
- 具体例:
- 恐怖心の植え付け: 「教えに背けば地獄に落ちる」「この世は悪(サタン)に満ちており、信者以外は敵だ」といった教えを繰り返し説き、外部社会への恐怖心や不信感を植え付ける。[2][5]
- 交友関係の制限: 「信者でない友人(世の子)と遊ぶと悪影響を受ける」として、友人関係を厳しく制限・監視し、子どもの社会性を奪う。[3][6]
- 進学・就職の妨害: 「大学はサタンの巣窟だ」「布教活動に専念すべきだ」といった理由で、子どもの進学やキャリアの選択を妨害する。
- 意思決定の阻害: 服装、髪型、恋愛、結婚など、人生のあらゆる選択において教団の教えを強制し、本人の自由な意思決定を許さない。[5]
- 存在の否定: 教団を離れようとしたり、教義に疑問を抱いたりすると、「裏切り者」「悪魔につかれた」などと罵倒し、家族やコミュニティから断絶(忌避)する。
これらの行為は、子どもの自尊心を著しく傷つけ、健全な人格形成を妨げます。世界が「信者」と「それ以外」に二分され、常に恐怖と罪悪感に苛まれる中で、子どもたちは精神的に追い詰められていくのです。
2-3. ネグレクト:育児放棄という名の信仰
信仰活動や多額の献金を優先するあまり、子どもに必要な養育が提供されない「ネグレクト(育児放棄)」も深刻な問題です。
- 具体例:
- 経済的困窮: 多額の献金により家庭が経済的に破綻し、子どもに必要な食事や衣服、学用品などが十分に与えられない。[2][5]
- 医療ネグレクト: 教義上の理由から、輸血や特定の治療を拒否し、子どもの生命や健康を危険にさらす。こども家庭庁の調査では、2023年9月までの3年間で、信仰などを理由とする子どもへの治療や輸血の拒否が20件報告されています。[7]
- 教育の機会の剥奪: 学校行事への参加を禁止したり、宗教活動を優先させるために学校を休ませたりすることで、子どもの教育を受ける権利を侵害する。
- 安全配慮の欠如: 布教活動に子どもを連れまわし、深夜まで活動させるなど、子どもの年齢や発達に応じた適切な生活環境を提供しない。
信仰を理由としたこれらの行為は、子どもの心身の健全な発達を阻害する、まぎれもない虐待です。
2-4. 性的虐待:歪められた性の教え
閉鎖的なコミュニティ内では、性的虐待も発生しやすい傾向にあります。教団の権威的な構造や、性をタブー視する歪んだ教えが、その温床となり得ます。
- 具体例:
宗教2世の団体が実施した調査では、159人から218件の性的被害が報告され、その多くが未成年時の被害であったことが明らかになっています。[8] 被害者は、信仰上の混乱や罪悪感から声を上げることができず、長年一人で苦しみを抱え続けることが少なくありません。
3. なぜ虐待に気づけないのか?声を上げられないのか?

宗教2世虐待の根深い問題の一つに、被害者自身が「自分は虐待されている」と認識しにくいという点があります。こども家庭庁が宗教2世28人に行った初のアンケート調査では、約7割が「後から当時を振り返って、虐待に当たる状況だとわかった」と回答しています。[9]
なぜ、このようなことが起こるのでしょうか。
- 外部との比較対象がない: 生まれた時からそれが「当たり前」の環境で育っているため、自分の家庭が異常であると気づくことが難しい。
- マインドコントロール: 幼少期からの教え込みにより、「親の言うことは絶対」「教えに背く自分がおかしい」という罪悪感を植え付けられている。
- 相談相手の不在: 外部との交流を制限されているため、信頼できる相談相手がいない。また、勇気を出して相談しても、「宗教の問題は特殊で理解できない」「親子の問題だ」と取り合ってもらえないことも多い。[10]
- 脱退後の生活への不安: もし教団や家族から離れれば、住む場所も頼る人も失い、生きていけないのではないかという恐怖がある。
こうした複雑な要因が絡み合い、宗教2世は孤立し、助けを求める声を上げることができなくなってしまうのです。
4. 宗教2世虐待問題の解決に向けた動き
この深刻な問題に対し、社会もようやく目を向け始めました。国や支援団体による様々な取り組みが進められています。
- 国のガイドライン策定: 厚生労働省が2022年に公表したガイドラインは、これまで「信教の自由」を理由に介入をためらいがちだった児童相談所などの公的機関が、宗教を背景とした虐待に積極的に対応するための指針となるものです。[2][3]
- 法整備の動き: 当事者団体などは、児童虐待防止法に「宗教的虐待」を明記するなど、より実効性のある法整備を求めて活動しています。[11][12][13][14]
- 支援団体の活動: 一般社団法人「陽だまり」をはじめとする支援団体が、当事者のための相談窓口の設置、カウンセリング、シェルターの提供、情報発信など、多岐にわたる支援活動を行っています。[1][10][15]
これらの動きは、孤立しがちな宗教2世にとって大きな希望となっています。
5. 一人で悩まないで。相談できる場所がある
もしあなたが宗教2世で、今まさに苦しみの中にいるのなら、決して一人で抱え込まないでください。あなたの苦しみを理解し、支えてくれる場所が必ずあります。

- 公的な相談窓口:
- 児童相談所虐待対応ダイヤル「189(いちはやく)」: 虐待の通告や相談ができる全国共通のダイヤルです。匿名での相談も可能です。
- 各自治体の児童相談所や福祉事務所: 専門の職員が相談に乗り、必要な支援につなげてくれます。
- 民間の支援団体:
- 一般社団法人 宗教2世支援センター 陽だまり: 宗教2世の抱える悩みについて、電話やメールで相談を受け付けています。[1]
- その他、各宗教問題に取り組むNPO法人など: 弁護士やカウンセラーなど、専門家による支援を行っている団体もあります。
「相談しても信じてもらえないかもしれない」「親や教団に知られたらどうしよう」といった不安があるかもしれません。しかし、これらの窓口は秘密厳守で相談に応じてくれます。まずは勇気を出して、あなたの心の内を話してみることから始めてみてください。
6. 私たちにできること:社会全体で支えるために
宗教2世の問題は、決して他人事ではありません。この問題を解決し、苦しむ子どもたちを救うためには、私たち一人ひとりの理解と支援が不可欠です。
- 関心を持ち、正しく知る: まずは、宗教2世が置かれている状況や、彼らが抱える苦しみについて関心を持つことが第一歩です。
- 耳を傾け、寄り添う: もしあなたの周りに悩んでいる宗教2世がいたら、その話を否定せずに、真摯に耳を傾けてください。「大変だったね」と共感し、味方であることを伝えるだけでも、大きな支えになります。
- 支援団体への寄付や協力: 宗教2世を支援する団体の活動は、多くが寄付によって支えられています。金銭的な支援や、ボランティアとしての参加も、大きな力になります。
- 社会の意識を変える: 「信教の自由」が、子どもの人権を侵害する免罪符になってはなりません。宗教による虐待は許されないという社会的なコンセンサスを形成していくことが重要です。

おわりに
宗教という、本来は人の心を救うはずのもので、子どもたちが苦しむという現実は、あまりにも理不尽です。彼らが経験してきた傷は深く、その回復には長い時間と手厚いサポートが必要です。
この記事が、今まさに苦しんでいる宗教2世のあなたにとっては解決への一歩となり、そして社会の多くの人々にとっては、この問題への理解を深める一助となることを心から願っています。すべての人が、信じる自由と信じない自由、そして自分らしく生きる権利を保障される社会の実現に向けて、私たち一人ひとりができることを考えていきましょう。
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