
はじめに:華やかな世界の裏に潜む深刻な問題
X(旧Twitter)やInstagram、YouTubeなど、SNSは現代社会に欠かせないコミュニケーションツールとなりました。有名人にとっても、ファンと直接つながり、活動を広く知らせるための重要なプラットフォームです。しかしその一方で、匿名性の高いSNSは、根拠のない噂や悪意に満ちた言葉が渦巻く、誹謗中傷の温床ともなっています。
毎日のように報道される有名人への誹謗中傷ニュース。私たちはそれらを「有名税」という言葉で片付けてしまって良いのでしょうか。軽い気持ちで書き込んだ一言が、一人の人間の心を深く傷つけ、時にはその人生を奪うことさえあります。
この記事では、SNSにおける有名人への誹謗中傷という深刻な問題について、多角的な視点から深く掘り下げていきます。実際の事例を紐解きながら、なぜ人は誹謗中傷に走るのか、その心理的背景を探ります。さらに、被害に遭った際にどのような法的措置が取れるのか、そしてプラットフォーム側の責任や最新の法改正についても詳しく解説します。
この記事を通して、読者の皆様一人ひとりがSNSとの向き合い方を改めて考え、誰もが安心して情報を発信できる社会を築くための一助となれば幸いです。
第1章:有名人を襲った誹謗中傷の事例
SNSでの誹謗中傷は、決して他人事ではありません。ここでは、実際に有名人が被害に遭い、社会的に大きな注目を集めた事例をいくつかご紹介します。これらの事例は、言葉の暴力がどれほど深刻な結果を招くかを私たちに突きつけています。
事例1:女子プロレスラー・木村花さんの悲劇
2020年5月、人気リアリティ番組「テラスハウス」に出演していた女子プロレスラーの木村花さんが、22歳という若さで自ら命を絶ちました。[1] 彼女の死の背景には、番組内での言動に対するSNS上での凄まじい誹謗中傷があったとされています。[2] 匿名のアカウントから浴びせられる「死ね」「消えろ」といった心無い言葉の数々。この事件は、SNSにおける誹謗中傷の危険性を社会に広く知らしめ、侮辱罪の厳罰化など、法改正の大きなきっかけとなりました。[2][3]

事例2:お笑い芸人・スマイリーキクチさんが闘った10年間
1999年、お笑い芸人のスマイリーキクチさんは、自身が女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人であるという、全くの事実無根の噂をインターネット掲示板に書き込まれました。[4] その後10年以上にわたり、彼はネット上で執拗な誹謗中傷を受け続けました。殺害予告や脅迫も相次ぎ、仕事や私生活に大きな支障をきたしたと言います。彼は、誹謗中傷と闘うことを決意し、警察に被害を訴え続けました。その結果、デマを流した複数人が検挙されるに至りました。彼の長い闘いは、ネット上の匿名の中傷に対しても、決して泣き寝入りする必要はないことを示しました。[4]
事例3:女優・春名風花さんの粘り強い対応
幼少期から子役として活動していた女優の春名風花さんは、長年にわたりSNS上で誹謗中傷を受けてきました。特に悪質な書き込みに対しては、彼女は情報開示請求を行い、投稿者を特定。[3] 損害賠償を求める民事訴訟を起こすなど、毅然とした対応を取ってきました。彼女の行動は、誹謗中傷の加害者に対して、その言動には法的な責任が伴うことを明確に示し、多くの被害者に勇気を与えています。
これらの事例は氷山の一角に過ぎません。[5] アスリート、アーティスト、政治家など、多くの有名人が日々、SNSでの誹謗中傷に苦しんでいます。[2][6]
第2章:なぜ人はSNSで誹謗中傷をしてしまうのか?その心理的メカニズム
一体なぜ、人は顔も知らない相手に対して、残酷な言葉を投げつけることができるのでしょうか。SNSで誹謗中傷を行う人々の心理には、いくつかの共通した特徴が見られます。

1. 匿名性という名の「安全地帯」
SNSの最大の特徴の一つは匿名性です。[7] 現実世界では決して口にできないような過激な言葉も、匿名の仮面を被ることで、責任を問われることなく発信できると錯覚してしまいます。[8] 「バレなければ何を言ってもいい」という歪んだ安心感が、攻撃的な行動を助長するのです。[8]
2. ストレスや不満のはけ口
日常生活で溜まったストレスや不満のはけ口として、SNSを利用する人も少なくありません。[9][10][11] 自分より恵まれているように見える有名人を攻撃することで、一時的な快感や満足感を得ようとするのです。[10][11] この場合、攻撃対象に強い関心があるわけではなく、単に自分の負の感情をぶつけるためのターゲットとして選ばれているに過ぎません。[10]
3. 嫉妬心と劣等感
自分自身の容姿や学歴、収入などにコンプレックスを抱えている人が、その劣等感を他者への攻撃で埋めようとすることがあります。[9] 華やかな世界で活躍する有名人は、嫉妬の対象になりやすいのです。「自分はこんなに苦労しているのに」という歪んだ感情が、根拠のない誹謗中傷へと繋がっていきます。
4. 歪んだ正義感と承認欲求
「自分は正しいことをしている」という強い思い込みから、誹謗中傷に走るケースも後を絶ちません。[10] 有名人の言動の「間違い」を一方的に断罪し、それを正そうとすることが、本人にとっては正義の執行であるため、罪の意識が薄いのが特徴です。[10] また、過激な意見を投稿することで「いいね」や共感のコメントを集め、自分の賢さや存在価値を示したいという承認欲求が背景にある場合もあります。[8]
5. 集団心理の恐ろしさ
「みんながやっているから自分もやっていいだろう」という集団心理も、誹謗中傷を加速させる大きな要因です。[8] 一つの批判的なコメントに同調するコメントが次々と集まり、次第に攻撃がエスカレートしていく「ネットリンチ」の状態に陥ります。集団の中にいると、個人としての責任感が薄れ、思考停止状態に陥りやすくなるのです。[8]
第3章:誹謗中傷は犯罪!問われる法的責任
「ネット上の書き込みくらいで大げさな」と考える人もいるかもしれませんが、SNSでの誹謗中傷は、れっきとした犯罪行為であり、民事・刑事の両面で厳しい責任が問われます。

刑事上の責任(問われる可能性のある罪)
- 名誉毀損罪(刑法230条): 公然と事実を摘示し、人の社会的評価を低下させる行為です。[12] 例えば、「あの芸能人は不倫している」といった具体的な内容を書き込むと、たとえそれが事実であっても名誉毀損罪に問われる可能性があります。[12]
- 侮辱罪(刑法231条): 事実を摘示せずに、公然と人を侮辱する行為です。[4][13] 「バカ」「ブス」「死ね」といった抽象的な悪口がこれにあたります。[4][13] 2022年7月の法改正で厳罰化され、懲役刑や禁錮刑も科されるようになりました。[13]
- 脅迫罪(刑法222条): 相手の生命、身体、自由、名誉、財産に対して害を加えることを告知する行為です。「殺すぞ」といった書き込みは、脅迫罪に該当します。[3]
- 信用毀損罪・業務妨害罪(刑法233条): 嘘の情報を流して人の信用を傷つけたり、業務を妨害したりする行為です。[3] 「あの店は食中毒を出した」といったデマを流すことがこれに該当します。
民事上の責任(損害賠償請求)
誹謗中傷によって精神的苦痛を受けた被害者は、加害者に対して不法行為に基づく損害賠償請求(慰謝料請求)をすることができます。[14] 裁判で誹謗中傷が悪質であると判断されれば、数百万円単位の賠償命令が下されるケースも少なくありません。[2]
匿名でも特定は可能!発信者情報開示請求
「匿名アカウントだから身元はバレない」というのは大きな間違いです。被害者は、「プロバイダ責任制限法」に基づき、「発信者情報開示請求」という法的手続きを踏むことで、誹謗中傷の投稿者を特定することができます。[14][15]
この手続きは、まずSNS事業者に対してIPアドレスなどの開示を求め、次にそのIPアドレスから判明したインターネットサービスプロバイダ(携帯キャリアなど)に対して、契約者の氏名や住所などの開示を求めるという二段階の手順を踏むのが一般的でした。しかし、法改正により、より迅速に投稿者を特定できる新たな裁判手続き(発信者情報開示命令)も創設されています。[16]
第4章:プラットフォームの責任と法改正の動き
誹謗中傷の「場」を提供しているSNSプラットフォーム事業者にも、一定の責任が求められています。
プロバイダ責任制限法とプラットフォームの対応
日本では、プロバイダ責任制限法に基づき、プラットフォーム事業者の責任の範囲や対応の枠組みが定められています。[16] 被害者から削除の申し出があった場合、事業者は一定の要件を満たせば投稿を削除することができます。しかし、全ての投稿に事業者が責任を負うことは現実的ではなく、これまでの対応は事業者の自主的な判断に委ねられる側面が大きいのが実情でした。[16][17]
法改正による新たな動き:「情報流通プラットフォーム対処法」
SNSでの誹謗中傷が深刻な社会問題となる中、2024年5月にプロバイダ責任制限法を改正・改称した「情報流通プラットフォーム対処法」が成立しました。[18][19][20] この法律は、特に利用者数の多い大規模なプラットフォーム事業者に対して、以下のような新たな義務を課しています。
- 削除申請のための窓口整備・公表: 利用者が削除申請をしやすいよう、窓口を整備し、分かりやすく公表すること。[17]
- 削除基準の策定・公表: どのような投稿が削除対象となるのか、具体的な基準を策定し、公表すること。[17][20]
- 削除申出への対応: 削除の申し出があった場合、対応状況を申し出者に通知すること。
この法改正により、誹謗中傷の投稿がより迅速かつ透明性の高い手続きで削除されることが期待されています。[17]
第5章:もしも誹謗中傷の被害に遭ってしまったら
有名人であろうと一般人であろうと、誰もが誹謗中傷の被害者になる可能性があります。もし被害に遭ってしまったら、一人で抱え込まず、冷静に対応することが重要です。

1. 証拠を保全する
まず何よりも先に、誹謗中傷の書き込みがあったページのスクリーンショットを撮影しましょう。その際、以下の情報が必ず含まれるようにしてください。
- 投稿の具体的な内容
- 投稿された日時
- 投稿ページのURL[21]
これらの証拠は、後の削除依頼や法的手続きに不可欠です。[21]
2. SNS事業者に削除を依頼する
各SNSプラットフォームには、利用規約に違反する投稿を報告し、削除を依頼するためのフォームが設けられています。[22] 証拠を添えて、どの規約に違反しているかを具体的に示して削除を申請しましょう。
3. 無視する、ブロックする
全てのコメントに反応する必要はありません。心無い言葉は無視し、悪質なアカウントはブロックするのも有効な自己防衛策です。[23]
4. 専門家や相談窓口に相談する
誹謗中傷が続く場合や、精神的に追い詰められてしまった場合は、一人で悩まずに専門家に相談してください。
- 弁護士: ネットトラブルに詳しい弁護士に相談すれば、発信者情報開示請求や損害賠償請求など、法的な手続きをスムーズに進めることができます。[3][21]
- 警察: 脅迫など、身の危険を感じる書き込みがあった場合は、すぐに最寄りの警察署に相談しましょう。[12]
- 公的な相談窓口: 総務省の「違法・有害情報相談センター」や法務省の「みんなの人権110番」など、無料で相談できる窓口もあります。[23]
第6章:加害者にならないために私たちが心掛けるべきこと
SNSを利用する誰もが、意図せず加害者になってしまう可能性があります。他人を傷つけないために、そして自分自身を守るために、以下のことを常に心掛けましょう。

1. 投稿前に一呼吸置く
感情的な気分の時に、衝動的に書き込むのはやめましょう。投稿ボタンを押す前に、「この言葉は誰かを傷つけないか」「本当に投稿する必要があるか」と一呼吸置いて考える習慣が大切です。
2. 批判と誹謗中傷の違いを理解する
正当な批判は、具体的な根拠に基づいており、相手の改善を促す建設的な意見です。[11] 一方で誹謗中傷は、根拠のない悪口や人格攻撃で、相手を傷つけること自体が目的です。[11] この違いを正しく理解しましょう。
3. 安易に情報を拡散しない
不確かな情報や、他人の誹謗中傷を含む投稿を安易にリツイート(リポスト)したり、「いいね」したりする行為も、誹謗中傷に加担することになりかねません。情報の真偽を確かめるリテラシーを身につけましょう。
4. 相手の向こう側に「人」がいることを忘れない
画面の向こう側にいるのは、感情を持った一人の人間です。有名人であっても、私たちと同じように傷つき、悩みます。自分が言われて嫌なことは、決して他人に言ってはいけません。

おわりに
SNSは、私たちの生活を豊かにする素晴らしいツールです。しかし、使い方を誤れば、人を深く傷つける凶器にもなり得ます。有名人への誹謗中傷問題は、彼らだけの問題ではなく、SNSを利用する私たち全員に関わる問題です。
一人ひとりが想像力を持ち、画面の向こうにいる相手を尊重する心を持つこと。そして、誹謗中傷は決して許されないという社会全体の意識を高めていくこと。それこそが、誰もが安心してSNSを楽しめる社会を実現するための第一歩となるはずです。この記事が、そのための小さなきっかけとなることを願っています。
【参考ウェブサイト】
- joshi-spa.jp
- digitalrisk.college
- brandcloud.co.jp
- amata-lawoffice.com
- ut-vessel.com
- m-ochiai.net
- support-mental-health.co.jp
- blitz-marketing.co.jp
- effectual.co.jp
- axia-company.co.jp
- axia-company.co.jp
- atomfirm.com
- gov-online.go.jp
- roudou-sos.jp
- authense.jp
- nagaoka-law.com
- nagaoka-law.com
- koshin-law.jp
- nli-research.co.jp
- protectstance.com
- vbest.jp
- hashimoto-law-office.jp
- gov-online.go.jp
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