
出口の見えない暗闇の中にいるあなたへ
「朝、目が覚めても起き上がれない」
「涙が理由もなく溢れてくる」
「今まで楽しかったはずの趣味に、心が全く動かない」
「自分が価値のない人間だと感じて、消えてしまいたいと思う」
もしあなたが今、こんな言葉に心当たりがあるなら、この記事はあなたのために書きました。
こんにちは。これは、30代前半で「大うつ病性障害」と診断され、約1年半の休職を経て、社会復帰を果たした、ごく普通の会社員の例です。
かつては、暗く、冷たく、出口の見えないトンネルの中にいました。毎日が灰色で、息をすることさえ苦しい。誰にもこの辛さを理解してもらえず、「甘えているだけだ」「気合が足りない」という自分の中の声と、周囲からの無言の圧力に押しつぶされそうでした。
この記事にたどり着いたあなたも、もしかしたら同じような苦しみの中にいるのかもしれません。あるいは、大切なご家族や友人がうつ病で苦しんでいて、どうすればいいのか分からず、情報を探しているのかもしれません。
このページでは、ある人が経験した大うつ病の実際の状況を、包み隠さずお話しします。診断されるまでの初期症状、地獄のようだった症状のピーク、休職中の葛藤、薬やカウンセリングとの付き合い方、そして少しずつ光を取り戻していく回復期から社会復帰まで。
これは、たった一人の体験談です。しかし、このリアルな記録が、あなたの現状を客観的に理解し、「自分だけじゃないんだ」と少しでも心を軽くする一助になればと願っています。そして、回復への具体的な道筋を知ることで、次の一歩を踏み出す勇気につながれば、これほど嬉しいことはありません。
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第1章 「大うつ病」と診断されるまで – 忍び寄る心の病
今思えば、サインはいくつもありました。しかし、当時は「まさか自分が」という思い込みと、「しっかりしなきゃ」という責任感で、心と身体の悲鳴に蓋をし続けていたのです。
始まりは些細な違和感だった – 初期症状のリアル
大うつ病の始まりは、ドラマのように劇的なものではありませんでした。じわじわと、日常の景色から彩りを奪っていくような、静かな侵食でした。
- 睡眠の変化: 元々寝つきは良い方だったのに、夜中に何度も目が覚めるようになりました。かと思えば、休日は15時間以上寝ても全く疲れが取れない「過眠」状態に。アラームを何個かけても起き上がれず、遅刻が増えました。
- 食欲の異常: 大好きだった食べ物の味がしなくなり、砂を噛んでいるような感覚に。体重は2ヶ月で7kgも落ちました。一方で、無性に甘いものやジャンクフードを詰め込みたくなる「過食」の衝動に駆られる日もありました。
- 集中力の低下: 会議の内容が頭に入ってこない。メールの文章が組み立てられない。簡単な資料作成で、ありえないようなミスを連発するようになりました。周囲からは「最近、疲れてる?」と心配されるようになりましたが、私は「寝不足なだけです」と笑ってごまかすしかありませんでした。
- 感情の不安定さ: 通勤電車の中、会社のトイレ、帰り道。場所を選ばず、突然涙が溢れて止まらなくなりました。自分でもなぜ泣いているのか分からないのです。かと思えば、何も感じない「無」の状態が何日も続いたりもしました。
これらの症状を、私は「仕事のストレス」「ただの疲れ」だと片付けようと必死でした。「みんな大変なんだから、自分だけ弱音を吐いてはいけない」と。
心と身体が悲鳴を上げた日 – プツンと糸が切れた瞬間
違和感を無視し続けた結果、心と身体はついに限界を迎えました。
ある月曜日の朝。いつも通りアラームが鳴りましたが、身体が鉛のように重く、1ミリも動きません。金縛りにあったかのように、指一本動かせないのです。
頭の中では「会社に行かなきゃ」「連絡しなきゃ」という声が鳴り響いているのに、身体が完全に命令を拒否していました。焦りと恐怖で心臓が激しく波打ち、呼吸が浅くなる。気づけば、シーツがぐっしょり濡れるほど汗をかき、涙が流れていました。
「もう、無理だ」
その瞬間、張り詰めていた糸がプツンと音を立てて切れました。
震える手で上司に「体調不良で休ませてください」とだけメッセージを送るのが精一杯。その日は一日中、ベッドから出ることができませんでした。水も食事も喉を通らず、ただただ天井を見つめて時間が過ぎるのを待つだけ。世界から自分一人が切り離されてしまったような、途方もない孤独感に襲われました。
この日を境に、会社に行けなくなりました。
初めて心療内科のドアを叩く – 「大うつ病性障害」という診断
数日間、欠勤の連絡を入れ続けましたが、状況は一向に改善しません。見かねた家族に強く勧められ、私は重い足を引きずって、近所の心療内科の予約を取りました。
病院の待合室で待っている間も、「自分は病気なんかじゃない」「気の持ちようだと言われたらどうしよう」という不安でいっぱいでした。
診察室に入り、白衣を着た穏やかな表情の医師を前にすると、堰を切ったようにこれまでの症状を話し始めました。眠れないこと、食欲がないこと、仕事のミスが増えたこと、涙が止まらないこと、そして今朝、身体が動かなくなったこと。
話しているうちに、また涙が溢れてきました。
医師は私の話を遮ることなく、静かに耳を傾けてくれました。そして、いくつかの質問(DSM-5などの診断基準に基づいた問診だったと後で知りました)の後、こう告げました。
「あなたのその症状は、心の風邪などという生易しいものではありません。典型的な『大うつ病性障害』です。脳内の神経伝達物質のバランスが崩れて、心と身体のエネルギーが完全に枯渇してしまっている状態です。あなたは今まで、本当に良く頑張りましたね。でも、もう一人で頑張る必要はありません。まずはしっかり休みましょう」
「病気だったんだ」
その言葉を聞いた瞬間、衝撃と共に、不思議な安堵感を覚えました。自分の不調が「甘え」や「怠慢」ではなかった。ちゃんと名前のある「病気」だったんだと。同時に、これからどうなってしまうんだろうという、底知れぬ不安に襲われたのも事実です。
この日、私は医師から「少なくとも3ヶ月の休職が必要」という診断書を受け取りました。これが、私の長く、暗い、治療生活の始まりでした。
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第2章 大うつ病の渦中で見た「現実」 – これは甘えじゃない、病気なんだ
診断を受け、休職に入っても、苦しみは終わりませんでした。むしろ、ここからが大うつ病との本格的な戦いの始まりでした。一般的に「うつ」と聞いて想像される「気分の落ち込み」だけではない、壮絶な症状の数々。そのリアルな状況をお伝えします。
思考の泥沼 – 終わらない自己否定と集中力の消失
うつ病の最も辛い症状の一つが、思考への影響、いわゆる「認知症状」です。
- 思考制止: 頭に分厚い霧がかかったようで、何も考えられなくなりました。簡単な質問にも「えーっと…」と言葉が詰まり、会話が成り立たない。スーパーで買い物をするにも、何を買えばいいのか決められず、30分以上も売り場で立ち尽くすこともありました。
- 集中力・記憶力の低下: テレビや映画の内容が全く頭に入ってきません。数行でギブアップしてしまうため、大好きだった読書もできなくなりました。人の話も右から左へ抜けていき、昨日言われたことを思い出せない。自分の脳が壊れてしまったような感覚でした。
- 自責の念・罪悪感: 「休んでいる自分はダメな人間だ」「会社や家族に迷惑をかけている」「自分が病気になったせいで、みんなが不幸になっている」。ありとあらゆる出来事を自分のせいだと感じ、常に自分を責め続けました。テレビで悲しいニュースが流れると、「自分が悪い人間だからだ」と本気で思ってしまうのです。
- 希死念慮: 最も苦しんだのが、この症状です。「消えてなくなりたい」「楽になりたい」という考えが、24時間頭から離れませんでした。具体的な計画を立てるわけではないのですが、「朝、目が覚めなければいいのに」と毎晩祈るように眠りにつきました。これは「死にたい」という積極的な願望というより、「生きているのが辛すぎるから終わらせたい」という、苦痛からの逃避願望でした。
これらの思考は、自分の意思ではコントロール不可能です。まるで暴走する車に乗せられているようで、ただただその嵐が過ぎ去るのを耐えるしかありませんでした。
鉛のように重い身体 – 見えない鎖に縛られる身体症状
うつ病は「心の病」とよく言われますが、実際には強烈な「身体症状」を伴います。
- 極度の倦怠感: 「疲労感」という言葉では生ぬるい、全身に鉛を流し込まれたような重さ。ベッドからトイレに行くだけで息が切れ、一日分のエネルギーを使い果たしてしまうような感覚です。シャワーを浴びる、着替えるといった日常動作さえ、一大決心が必要でした。
- 睡眠障害: 夜は不安で眠れない「入眠困難」、眠っても1〜2時間おきに目が覚める「中途覚醒」、明け方に目が覚めてしまい二度と眠れない「早朝覚醒」。日中は耐え難い眠気に襲われるのに、夜は目が冴えてしまう。睡眠リズムが完全に崩壊していました。
- 痛みの数々: 原因不明の頭痛(締め付けられるような痛み)、肩や背中の激しい凝り、胃痛、めまい、耳鳴り。身体中が常にどこか痛い。内科で検査しても「異常なし」と言われるため、周りからは理解されにくい辛さがありました。
- 食欲不振: 食べ物の味も匂いもせず、食事は「作業」でした。無理やり喉に流し込む日々。体重はどんどん落ちていき、鏡に映る自分の姿は骸骨のようでした。
これらの身体症状は、外からは見えません。だからこそ、「怠けている」「サボっている」と誤解されやすいのです。しかし、本人にとっては、見えない鎖で縛られているような、耐え難い苦痛でした。
世界が色を失う – 好きだったものが「無」になる感覚
うつ病の残酷な症状の一つに、「感情の平板化」と「アンヘドニア(快感消失)」があります。
- 喜び・楽しみの喪失: 以前は大好きだった音楽を聴いても、映画を観ても、友人と話しても、何も感じない。心が全く動かないのです。美しい景色を見ても「綺麗だな」と思えず、ただの「風景」としてしか認識できない。世界から色が消え、モノクロームになったようでした。
- 感情の麻痺: 嬉しい、楽しいといったポジティブな感情だけでなく、悲しい、悔しいといったネガティブな感情さえも感じにくくなりました。ただただ「無」。表情も能面のようになり、笑うことも泣くこともできなくなりました。
- 興味・関心の喪失: 人との交流が億劫になり、友人からの連絡も無視するように。社会の出来事にも全く興味が持てず、ニュースも見なくなりました。世界から自分だけが取り残されていくような感覚。でも、それをどうすることもできないのです。
この「何も感じない」状態は、落ち込んでいる状態よりもある意味で辛いものでした。人間らしさを全て奪われてしまったような、空っぽの抜け殻になったような感覚でした。
【コラム】「うつ病」と「大うつ病性障害」の違いとは?
ここで少し、専門的な話をさせてください。私が診断されたのは「大うつ病性障害」です。一般的に使われる「うつ病」という言葉は、実は広い意味を持っています。
- うつ病(広義): 気分が落ち込む状態全般を指す、日常的な言葉。
- 大うつ病性障害(Major Depressive Disorder): アメリカ精神医学会の診断基準『DSM-5』などで定義される、正式な精神疾患の診断名。気分の落ち込みや興味・喜びの喪失といった中核症状のほか、睡眠、食欲、思考力などに関する複数の症状が、2週間以上にわたってほぼ毎日続き、日常生活に著しい支障をきたしている状態を指します。
つまり、「大うつ病性障害」は、一時的な気分の落ち込みとは明確に区別される、治療が必要な「病気」なのです。もしあなたが「自分はうつ病かもしれない」と感じたら、それは専門家による診断が必要なサインかもしれません。
第3章 治療という長いトンネル – 回復への具体的なステップ
「休めば治る」という単純なものではありませんでした。大うつ病の治療は、焦り、不安、後退を繰り返しながら、自分に合った方法を根気強く見つけていく、長い長い道のりでした。
「休む」ことへの罪悪感との戦い – 休職という選択と現実
医師の指示通り休職に入りましたが、最初の1ヶ月は地獄でした。
休職初期の葛藤:
「休む」ことが、これほど難しいとは思いませんでした。何もしないでベッドに横たわっていると、「同僚は今頃忙しく働いているのに…」「自分はなんて無価値なんだ」という罪悪感と焦りが津波のように押し寄せてきます。
休んでいるのに、全く休まらない。むしろ、仕事をしている時よりも精神的に追い詰められていました。
「何もしない」をする:
通院のたびに、医師からは「とにかく、何もしないでください。焦らないでください。今はそれがあなたの仕事です」と繰り返し言われました。
最初は意味が分かりませんでしたが、とにかくその言葉を信じて、「何もしないこと」を意識的に実践しました。
- 仕事のことは考えない(PCやスマホの通知は全てオフ)
- 何かを「しなきゃ」と思わない
- 眠たければ寝る、起きたくなければ起きない
エネルギーが枯渇したバッテリーを充電するように、ただただ心と身体を横たえる。この「積極的休養」が、治療の第一歩でした。
薬との付き合い方 – 抗うつ薬への誤解と真実
心療内科では、休養と同時に薬物療法が始まりました。私が処方されたのは、SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)という種類の抗うつ薬と、睡眠導入剤、不安を和らげる抗不安薬でした。
副作用との戦い:
抗うつ薬は、飲み始めてすぐに効果が出るわけではありません。効果を実感するまでには2〜4週間かかると言われています。その間、私を苦しめたのが副作用でした。
最初の1〜2週間は、吐き気、頭痛、下痢、そして異常な眠気に悩まされました。症状が悪化したように感じ、「薬をやめたい」と何度も思いました。しかし、医師から「これは薬が身体に馴染む過程でよくあること。必ず治まります」と説明を受け、なんとか飲み続けました。
薬が効き始めた瞬間:
飲み始めて3週間が経った頃、ふと、ある変化に気づきました。あれだけ頭の中を支配していた「消えたい」という考えが、少しだけ弱まっている。思考の霧が、ほんの少しだけ晴れたような感覚でした。
劇的な変化ではありません。でも、確実に底上げされている感覚がありました。「薬が効いているのかもしれない」と、暗闇の中に一筋の光が見えた瞬間でした。
抗うつ薬への誤解:
世間には「抗うつ薬は癖になる」「性格を変える薬だ」といった誤解がありますが、それは間違いです。抗うつ薬は、不足している脳内の神経伝達物質(セロトニンなど)のバランスを整え、脳が本来の機能を取り戻すのを助ける薬です。自分の判断で急にやめると、離脱症状が起こる可能性があるので、必ず医師の指示に従って減薬・断薬を進める必要があります。
薬は、溺れている時に差し伸べられた浮き輪のようなものでした。それだけでは岸にはたどり着けないけれど、少なくとも息を継いで、次の一歩を考える余裕を与えてくれました。
心の整理整頓 – 私を救ったカウンセリングの力
薬物療法で症状がある程度安定してきた頃、医師の勧めでカウンセリング(臨床心理士による心理療法)を併用することにしました。
カウンセリングで何をするのか:
カウンセリングは、主に「認知行動療法(CBT)」というアプローチが中心でした。これは、うつ病に陥りやすい特有の「考え方の癖(認知の歪み)」に気づき、それをより現実的でバランスの取れた考え方に修正していくトレーニングです。
例えば、「一つのミスをすると、全てがダメだと思ってしまう(全か無か思考)」という癖がありました。カウンセラーは、それを否定するのではなく、
「本当にそうでしょうか?そのミスで失ったものは100のうちどれくらいですか?」
「逆に、上手くいっていることはありませんか?」
と、客観的な視点から質問を投げかけてくれます。
この対話を通して、私は自分の思考がいかに極端で、自分を苦しめているかに気づくことができました。
話すことの効果:
何より大きかったのは、自分の感情や考えを、ジャッジされることなく安心して話せる場所ができたことです。家族や友人には心配をかけたくなくて言えなかったネガティブな感情も、カウンセラーには全て吐き出すことができました。
自分の頭の中にあるモヤモヤを言葉にして外に出すだけで、心が整理され、軽くなっていくのを感じました。カウンセリングは、いわば「心の筋トレ」。時間はかかりましたが、物事の捉え方がしなやかになり、ストレスへの対処能力が格段に上がりました。
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周囲の支えと「ありがた迷惑」- 家族・友人に本当に求めていたこと
うつ病は、本人だけでなく、周りの家族や友人も巻き込んでいきます。私も、家族のサポートなしでは回復できませんでした。一方で、良かれと思っての言動が、かえって本人を傷つけてしまうこともあります。
本当に嬉しかったこと・助かったこと:
- 「ただ、そばにいてくれる」: 何も言わずに、ただ同じ空間にいてくれるだけで、孤独感が和らぎました。
- 判断を委ねない: 「何か食べる?」「何がしたい?」と聞かれるのは辛い。「うどん作ったけど、食べられそうなら食べて」というように、選択肢を減らしてくれる配慮がありがたかったです。
- 病気を理解しようとしてくれる姿勢: 家族がうつ病に関する本を読んだり、一緒に通院して医師の話を聞いてくれたりしたこと。「あなたの辛さを理解したい」という姿勢が、何よりの救いでした。
- 肯定も否定もしない: 私が「もうダメだ」とネガティブなことを言っても、「そんなことないよ!」と安易に励ますのではなく、「そう感じているんだね」と、ただ受け止めてくれました。
正直、辛かったこと(ありがた迷惑):
- 「頑張れ」という励まし: エネルギーがゼロの人間にとって、「頑張れ」は「これ以上どう頑張ればいいんだ」という絶望感を煽る言葉でした。
- 気晴らしの提案: 「散歩に行こうよ」「映画でも観たら?」という誘い。楽しむエネルギーがないので、断ることに罪悪感を覚えてしまいました。
- 原因追及: 「何が原因なの?」「あの時のあれがダメだったんじゃない?」と原因を探られること。本人も分からず苦しんでいるのです。
- 他の人と比べる: 「あの人も大変だけど頑張ってるよ」という言葉。
もし、あなたの周りにうつ病で苦しんでいる人がいたら、何か特別なことをしようとせず、まずは「安全な基地」になってあげてください。ただ話を聞き、味方でいることを伝える。それが、何よりの力になります。
【お役立ち情報】休職中に使える公的支援制度(傷病手当金・自立支援医療)
休職中の経済的な不安は、回復の大きな妨げになります。幸い、日本にはいくつかの公的支援制度があります。私もこれらを利用することで、治療に専念できました。
- 傷病手当金:
- 内容: 健康保険の被保険者が、病気やケガのために会社を休み、事業主から十分な報酬が受けられない場合に支給されます。
- 支給額: おおよそ、給与の3分の2程度。
- 期間: 最長で1年6ヶ月。
- 手続き: 会社の人事・総務担当者や、加入している健康保険組合に問い合わせてみてください。医師の証明が必要です。
- 自立支援医療(精神通院医療):
- 内容: うつ病などの精神疾患で通院を続ける必要がある場合、医療費の自己負担額が軽減される制度です。
- 軽減内容: 通常3割負担の医療費(薬代含む)が、原則1割負担になります。所得に応じて、さらに月額の上限が設定されます。
- 手続き: お住まいの市区町村の障害福祉担当窓口で申請します。こちらも医師の診断書が必要です。
これらの制度を知っているかどうかで、休職中の安心感は大きく変わります。もし該当する方は、ぜひ活用を検討してください。
第4章 光が見え始めた「回復期」 – 再発防止と社会への帰還
休職から半年ほど経った頃、ようやく暗いトンネルに、かすかな光が見え始めました。ここからの「回復期」は、焦らず、後戻りを恐れず、一歩ずつ進むことが何より重要でした。
薄紙を剥がすような回復 – 良い日と悪い日の波を乗りこなす
うつ病からの回復は、骨折が治るように一直線に進むわけではありません。まるで、薄い紙を一枚一枚剥がしていくような、非常にゆっくりとしたプロセスです。
「良い日」と「悪い日」の波:
調子が良く、散歩に出かけたり、簡単な料理ができたりする「良い日」が少しずつ増えてきました。しかし、その翌日には、またベッドから起き上がれない「悪い日」がやってくる。
この波に、最初は一喜一憂してしまいました。「昨日良かったのに、また元に戻ってしまった…」と落ち込むことも多かったです。
しかし、医師やカウンセラーから「回復とはそういうもの。三歩進んで二歩下がるを繰り返しながら、長い目で見れば上向いていく」と教えられ、考え方を変えました。
「悪い日」は、「まだ休養が必要なサイン」と捉えて無理をしない。「良い日」は、「少しだけ動いてみよう」と小さな成功体験を積む。この波を乗りこなす感覚を掴むことが、回復期を乗り切る鍵でした。
できることが増えていく喜び:
- 5分だった散歩が10分、20分と伸びていく。
- 文字が追えるようになり、短いエッセイが読めるようになった。
- 音楽を聴いて「心地よい」と感じられた。
- 友人と30分だけお茶ができた。
健常な時には当たり前だったことが、一つひとつ、宝物のように感じられました。この小さな「できた」を記録し、自分を褒めてあげることで、自己肯定感を少しずつ取り戻していきました。
再発防止のために身につけた「自分を守る」習慣
回復期は、社会復帰後も病気を再発させないための「リハビリ期間」でもあります。私はこの時期に、自分を大切にし、守るための新しい生活習慣を身につけました。
- 睡眠・食事・運動の徹底:
- 睡眠: 毎日同じ時間に寝て、同じ時間に起きる。朝日を浴びて体内時計をリセットする。
- 食事: バランスの取れた食事を3食摂る。特に、セロトニンの材料となるトリプトファン(大豆製品、乳製品、バナナなど)を意識しました。
- 運動: 無理のない範囲でのウォーキングや軽いストレッチ。身体を動かすと、気分が晴れるのを実感しました。
- ストレスコーピングの実践:
- 自分が何にストレスを感じるのか(ストレス源)をノートに書き出して把握しました。
- ストレスを感じた時の対処法(コーピング)を複数用意しておく。「音楽を聴く」「ハーブティーを飲む」「信頼できる人に話す」「アロマを焚く」「何もしないで寝る」など、その時の気分で選べるようにしました。
- マインドフルネス瞑想:
- 「今、ここ」の感覚に意識を集中させる瞑想です。過去への後悔や未来への不安でいっぱいだった私の頭を、静かな状態に戻してくれる効果がありました。最初は5分からでも大丈夫。呼吸に意識を向けるだけで、心が落ち着きます。
これらの習慣は、うつ病の治療だけでなく、その後の人生をより豊かに生きるための土台となりました。
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社会復帰へのロードマップ – リワーク支援と新しい働き方
休職から1年が過ぎた頃、主治医から「そろそろ復職を考えても良い段階かもしれません」と言われました。喜びと同時に、大きな不安が押し寄せます。「また、あの満員電車に乗れるだろうか」「仕事のペースについていけるだろうか」「再発したらどうしよう」と。
そこで利用したのが「リワーク支援」です。
リワーク支援とは:
うつ病などで休職した人が、職場復帰に向けてリハビリを行うプログラムです。医療機関や地域障害者職業センターなどが実施しています。
- 内容:
- 生活リズムの再構築: 毎日決まった時間に施設へ通い、会社に行く予行練習をする。
- 体力・集中力の回復: パソコン作業や軽作業、グループワークなどを行う。
- ストレス対処法: 再発防止のための心理教育プログラム(SSTなど)を受ける。
週3日からリワークに通い始め、徐々に日数を増やしていきました。同じ境遇の仲間と悩みを共有できたことも、大きな支えになりました。
会社との連携と復職:
リワークで自信をつけた後、会社の人事担当者、上司、そして主治医と面談を重ね、復職の計画を立てました。
- 最初の1ヶ月は時短勤務(例:10時〜16時)からスタート。
- 業務内容は、プレッシャーの少ない定型的なものから。
- 定期的な上司との1on1面談で、心身の状態を共有する。
このような「ソフトランディング」をさせてもらえたことで、無理なく職場に再適応することができました。もちろん、復職後も完璧ではありません。疲れたら早めに休む、無理な仕事は断る勇気を持つなど、常に自分の状態をモニタリングすることが欠かせません。
うつ病が教えてくれたこと – 人生観の変化
うつ病になったことは、私の人生で最も辛い経験でした。しかし、皮肉なことに、この経験は私に多くの大切なことを教えてくれました。
- 自分の限界を知り、大切にできるようになった。
- 完璧でなくても良い、という「良い加減」を学んだ。
- 人の痛みに寄り添えるようになった。
- 当たり前の日常が、いかに尊いものであるかを知った。
- 仕事は人生の一部でしかない、と気づけた。
病気になる前の私は、他人の評価を気にし、常に「〜べき」という思考に縛られていました。しかし今は、自分自身の心と身体の声を一番に聞き、「自分がどうありたいか」を軸に生きられるようになったと感じています。

第5章 今、うつ病で苦しんでいるあなたへ – 伝えたい3つのメッセージ
この記事の最後に、今まさに大うつ病の暗闇の中で苦しんでいるあなたへ、回復した今だからこそ伝えたいメッセージを送ります。
あなたは決して一人ではない
出口の見えないトンネルの中で、世界にたった一人取り残されたような孤独を感じているかもしれません。しかし、あなたは決して一人ではありません。
厚生労働省の調査によると、生涯のうちにうつ病を経験する日本人は約15人に1人と言われています。あなたの周りにも、言わないだけで、同じような苦しみを経験した人、今まさに戦っている人が、必ずいます。
そして、あなたを助けたいと思っている専門家や支援機関がたくさんあります。
- こころの健康相談統一ダイヤル:0570-064-556
- いのちの電話
- お住まいの地域の精神保健福祉センターや保健所
どうか、一人で抱え込まないでください。誰かに「助けて」と声を上げることは、弱さではありません。生きるための、最も尊い勇気です。
それは「甘え」ではない、脳の機能不全という「病気」
何度でも言います。あなたの苦しみは、「甘え」や「気合の問題」ではありません。
うつ病は、ストレスなどをきっかけに、セロトニンやノルアドレナリンといった脳内の神経伝達物質のバランスが崩れ、脳が正常に機能しなくなる「病気」です。骨折した人が気合で走れないのと同じで、脳がエネルギー切れを起こしている状態で、気力や根性で乗り切ることは不可能なのです。
自分を責めるのは、今すぐやめてください。あなたは何も悪くありません。悪いのは、病気です。まずは、自分自身が「自分は病気なのだから、休む権利がある」と認めてあげることが、回復への第一歩です。
必ず光は差す。諦めないでほしい
渦中にいる時は、この苦しみが永遠に続くように感じられるでしょう。「もう二度と笑える日は来ない」と絶望しているかもしれません。
私もそうでした。しかし、断言します。
必ず、光は差します。トンネルには、必ず出口があります。
治療には時間がかかります。一進一退を繰り返し、もどかしく思う日も多いでしょう。でも、適切な治療を受け、焦らずに休養すれば、脳のエネルギーは少しずつ、確実に充電されていきます。
「普通の生活」が、どれほど眩しく、愛おしいものか。
回復した今、私はそう実感しています。うつ病になる前の自分には戻れないかもしれません。でも、傷つき、もがき、それでも立ち上がったあなたは、以前よりもっと強く、優しく、深い人間になっているはずです。
その苦しみには、必ず意味があります。だから、どうか、諦めないでください。生き延びてください。

おわりに あなたのペースで、一歩ずつ
大うつ病の実際の状況を知り、あなたのこれからの道を照らす、小さな灯りになれたなら幸いです。
この記事を読んで、「もしかしたら自分も…」と感じたなら、どうか勇気を出して、専門機関のドアを叩いてみてください。それが、あなた自身の未来を守る、最も確実な一歩です。
焦らなくていい。あなたのペースで、一歩ずつ。
あなたの心に、再び穏やかな光が灯る日が来ることを、心から祈っています。
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