
愛されなかった私が、なぜ愛し方がわからないのか?世代間トラウマを断ち切る
「自分も親と同じように、子どもを傷つけてしまうのではないか…」
子育てをする中で、ふとした瞬間にこんな恐怖に襲われたことはありませんか?あるいは、パートナーや周囲の人との関係で、いつも同じような生きづらさを感じていませんか?
もし、あなたが子ども時代に親から身体的・心理的な虐待を受けていたとしたら、その不安や困難は、決してあなた一人のせいではありません。「虐待の連鎖」または「世代間伝達」と呼ばれるこの問題は、根深い心理的なメカニズムによって、世代を超えて受け継がれてしまうことがあるのです。
しかし、絶望する必要はありません。虐待の連鎖は「運命」ではなく、その仕組みを理解し、適切な対処法を知ることで、必ず断ち切ることができます。この記事では、「虐待の連鎖」の心理的な背景を深く掘り下げ、その負のループから抜け出すための具体的な方法を、当事者の方、そしてその周りで支えたいと願うすべての人に向けて、丁寧に解説していきます。
第1章:虐待の連鎖とは何か? – 世代を超えて受け継がれる「傷」の正体
「子どもを虐待する親自身も、かつては被虐待児だった」という言葉を耳にしたことがあるかもしれません。[1] これは、虐待が世代を超えて繰り返される「世代間連鎖」という現象を指摘したものです。[1] しかし、これは決して「虐待された子どもは必ず虐待する親になる」という宿命を意味するものではありません。[1]

1-1. 遺伝ではなく「習慣」として受け継がれる
虐待の連鎖は、遺伝的な要因で決まるわけではありません。[2] 心理学的には、家庭環境の中で親の行動や価値観、感情の表現方法などを無意識のうちに学び、身につけてしまう「習慣」に近いものと考えられています。[2] 子どもは親の行動を観察し、模倣することで社会性を学んでいきます(観察学習)。[3] 家庭が世界のすべてである子どもにとって、親の歪んだコミュニケーションや暴力的な問題解決方法が「当たり前」となり、それが対人関係のモデルとして内面化されてしまうのです。
1-2. 虐待の連鎖が引き起こす問題
世代間連鎖によって、様々な問題が引き継がれる可能性があります。[2]
これらの問題は複雑に絡み合い、個人の人生に深刻な影響を及ぼします。特に、幼少期の親との関係で築かれる「愛着」の問題は、虐待の連鎖を理解する上で非常に重要な鍵となります。
第2章:虐待の連鎖を生み出す心理的メカニズム
なぜ、あれほど憎んでいた親と同じことを、自分の子どもにしてしまうのでしょうか。そこには、いくつかの根深い心理的なメカニズムが働いています。

2-1. 愛着障害:安全基地の不在がもたらすもの
本来、親は子どもにとって「安全基地」となる存在です。しかし、虐待的な家庭では、その親自身が恐怖の対象となります。[1] これは子どもにとって「解決不能なパラドックス」であり、健全な愛着形成を著しく阻害します。[1]
- 内的ワーキングモデルの歪み: 愛着理論では、人は親との関係を通じて「自分は愛される価値がある存在か」「他者は信頼できる存在か」という「内的ワーキングモデル(内的な作業モデル)」を形成すると考えられています。[1] 虐待を受けた子どもは、「自分は悪い子だから罰せられるんだ」「他人は自分を傷つける存在だ」といった否定的なモデルを形成しやすくなります。[4]
- 不安定な愛着スタイル: この歪んだモデルは、その後の対人関係全般に影響を及ぼします。他者との距離感がわからなかったり、過剰に相手を試すような行動をとったり、逆に親密になることを極端に恐れたりと、不安定な愛着スタイルとなって現れるのです。[3] そして、自分が親になった時、子どもとの安定した愛着関係の築き方がわからず、無意識のうちに自分が経験した関係性を再現してしまうことがあります。[5]
2-2. トラウマの再演:癒されない傷の叫び
虐待という強烈な体験は、心に深い傷(トラウマ)を残します。そして、トラウマ体験は、無意識のうちに「再演」されることがあります。[3]
例えば、幼少期に父親から殴られて育った人が、自分の子どもが言うことを聞かない時に、カッとなって同じように手を上げてしまう。これは、過去の無力だった自分が、今度は力を持つ「親」の側に立つことで、当時の圧倒的な恐怖を克服しようとする無意識の試み(防衛機制)と捉えることもできます。しかし、それは根本的な解決にはならず、新たな被害者を生むだけの悲劇的な繰り返しとなってしまいます。
2-3. 感情調整スキルの欠如
虐待的な家庭では、子どもが泣いたり怒ったりといった感情を表現することが許されない場合が多くあります。親自身の感情が不安定で、子どもの感情を受け止める余裕がないためです。[3] その結果、子どもは自分の感情を抑圧し、どのように扱っていいかわからないまま大人になります。[3]
自分が親になった時、子どもの泣き声やかんしゃくに対して、どう対処していいかわからず、強いストレスを感じます。[4] そして、自分が子どもの頃にされたように、力で押さえつけたり、無視したりといった不適切な方法でしか対応できなくなってしまうのです。
2-4. 被害的認知:「私ばかりが損をしている」という思い込み
虐待を受けて育った人は、「自分は価値のない存在だ」「誰も助けてくれない」といった低い自己評価と、他者への不信感を抱きがちです。[4] そのため、他者の言動を悪意的に解釈してしまったり、「いつも自分ばかりが損をしている」と感じてしまったりする「被害的認知」という思考パターンに陥りやすくなります。[4]
この認知の歪みは、育児においても、「子どもがわざと自分を困らせようとしている」「こんなに頑張っているのに、誰も評価してくれない」といった考えにつながり、子どもへの怒りや攻撃性を増幅させる要因となります。[4]
第3章:「虐待の連鎖」を断ち切るための具体的な3つのステップ
虐待の連鎖は、決して断ち切れない呪いではありません。以下の3つのステップは、その負のループから抜け出し、自分と、そして自分の子どもとの間に新しい関係性を築くための重要な道のりです。

ステップ1:認識する – 「悪いのは自分ではなかった」と知る
連鎖を断ち切るための最も重要で、そして最も困難な最初のステップは、「子どもの頃に受けた仕打ちは、親の責任であり、自分のせいではなかった」と認識することです。[6]
- 「親のせい」にすることへの抵抗: 毒親育ちの人は、長年「お前が悪い子だから」と自己責任を押し付けられてきたため、自分を責める思考が癖になっています。[6] また、どんな親であっても、子どもにとって親は絶対的な存在であり、その親を「悪」と認めることには多大な心理的抵抗が伴います。[6]
- 客観的な事実と自分の感情を切り分ける: まずは、「親の行動が虐待であった」という客観的な事実を認めることから始めましょう。そして、その時感じた悲しみ、怒り、恐怖といった自分の感情を、決して否定せずに受け止めてあげることが大切です。このプロセスには、専門家のサポートが大きな力になります。
ステップ2:自分を癒す – インナーチャイルドと向き合う
過去の傷を認識したら、次は傷ついた自分自身を癒していくプロセスに入ります。心理学では、心の中にいる「傷ついた子ども時代の自分」を「インナーチャイルド」と呼びます。
- 過去の自分を肯定する: 「あの時、怖かったね」「悲しかったね」「よく頑張ったね」と、心の中で過去の自分に寄り添い、その感情を肯定してあげましょう。
- 安全な人間関係を築く: 虐待を断ち切れた人の多くに共通しているのは、子ども時代やその後の人生で、親以外の誰か(パートナー、友人、恩師など)から愛情やサポートを受け、安心できる人間関係を経験していることです。[1] 信頼できる人との関わりの中で、「自分は愛されてもいい存在だ」という感覚を取り戻していくことができます。
- 専門家(カウンセリング)を頼る: 虐待によるトラウマは非常に根深く、一人で向き合うのは困難な場合があります。[7] 認知行動療法、EMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)など、トラウマ治療に有効な心理療法も存在します。[7][8] 専門家は、あなたが安全な環境で過去と向き合い、心の傷を癒していくための羅針盤となってくれます。[9]
ステップ3:新しい行動を学ぶ – 「親とは違うやり方」を身につける
過去の傷を癒し、自分自身への肯定感を取り戻すことができたら、次は未来に向けて、新しい行動パターンを学んでいく段階です。
- 感情のコントロール方法を学ぶ: 自分が何に怒りを感じ、どういう時にストレスを感じるのか、自分の感情のパターンを理解しましょう。アンガーマネジメントの手法を学んだり、ストレスを感じた時の自分なりのリラックス方法(深呼吸、散歩、音楽を聴くなど)を見つけたりすることが有効です。
- 具体的な子育ての知識を得る: 「親のやり方」しか知らないのであれば、新しいやり方を学ぶ必要があります。地域の育児講座に参加したり、子育て支援センターを利用したり、信頼できる育児書を読んだりして、具体的な知識をインプットしましょう。[10]
- 助けを求めることを学ぶ: 虐待をする親は、社会的に孤立しているケースが少なくありません。育児は一人で抱え込むものではありません。「助けて」と声を上げることは、決して弱いことではなく、自分と子どもを守るための強さです。地域の保健師、児童相談所、民間の支援団体など、頼れる場所は必ずあります。[10]
第4章:もし、あなたが「虐待サバイバー」なら – 生きづらさを乗り越えるために
虐待を生き抜いた人(サバイバー)は、大人になってからも様々な心身の問題や生きづらさを抱えることがあります。[8]
- PTSD(心的外傷後ストレス障害): 虐待の記憶がフラッシュバックする、悪夢を見る、常に緊張している、など。[8]
- 解離: 辛い記憶や感情を切り離す防衛反応。記憶が飛んだり、自分が自分でないような感覚に陥ったりする。[7]
- 対人関係の問題: 人を信用できない、見捨てられるのが怖い、健全なパートナーシップを築けない。
- 自己肯定感の低さ: 「自分はダメな人間だ」という思い込みから抜け出せない。
- 身体的な問題: 原因不明の痛み、頭痛、摂食障害など。[8]
これらの症状は、あなたが弱いからではなく、過酷な体験を生き抜くために心が必死で適応しようとした結果です。一人で抱え込まず、精神科や心療内科、カウンセリングルームなどの専門機関に相談してください。[11] 同じような経験を持つ人たちが集まる自助グループに参加することも、孤独感を和らげ、回復への大きな力となります。[11]

第5章:社会として何ができるか – 連鎖を断ち切るための支援の輪
虐待の連鎖は、個人の問題であると同時に、社会全体で取り組むべき課題です。
- 早期発見と介入: 妊娠期からの切れ目のない支援や、乳幼児健診などを通じて、孤立しがちな親子を早期に発見し、サポートにつなげることが重要です。[1]
- 親への教育と支援: 「親になるための教育」や、育児に困難を抱える親への具体的なサポートプログラム(ペアレント・トレーニングなど)を充実させる必要があります。[10]
- 社会の意識改革: 「しつけと虐待は違う」という認識を社会全体で共有し、虐待を容認しない文化を作ること。[12] そして、「助けて」と声を上げやすい社会、子育てに寛容な社会を目指すことが、根本的な予防につながります。
- 通報という名の支援: 近所で虐待が疑われる場面に遭遇した時、「もしかしたら…」と思ったら、児童相談所虐待対応ダイヤル「189(いちはやく)」に電話してください。その一本の電話が、子どもと、そして追い詰められている親の両方を救うきっかけになるかもしれません。[13]

結論
虐待の連鎖という根深い問題は、愛着の傷、トラウマの再演、歪んだ認知など、複雑な心理的要因が絡み合って生まれます。しかし、それは決して変えられない運命ではありません。
過去と向き合い、自分を癒し、新しい知識と行動を学ぶことで、その負の連鎖はあなたの代で断ち切ることができます。それは、決して平坦な道のりではないかもしれません。時には過去の痛みに涙することもあるでしょう。[14]
しかし、あなたは一人ではありません。専門家、パートナー、友人、そして様々な支援機関が、あなたの旅路をサポートするために存在しています。勇気を出して、まずは小さな一歩を踏み出してみてください。
あなたが自分自身を大切にし、癒すことができた時、それはあなた自身が救われるだけでなく、あなたの愛する子ども、そして未来の世代へと続く、新しい「愛情の連鎖」の始まりとなるのです。
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