「普通」だった日常が、音を立てて崩れ落ちる。
それは、一本の電話、警察官の訪問、ニュース速報など、あまりにも突然の形で訪れます。愛する家族が犯罪の被害に遭うという現実は、残された家族の心に、生涯癒えることのない深い傷跡を残します。直接的な被害だけでなく、その後の人生を根底から揺るがす精神的苦痛、経済的困窮、そして社会からの無理解という「二次被害」。これは、決して他人事ではありません。
警察庁の統計によれば、日本国内で確認される刑法犯は後を絶ちません。その一つ一つの事件の裏には、数字だけでは計り知れない、被害者家族の涙と苦悩の日々があります。
本記事では、「犯罪被害者家族の心理」をテーマに、彼らがどのような心理的プロセスを辿るのか、どのような困難に直面するのかを多角的に掘り下げていきます。そして、深い絶望の中から、どのようにして回復への道を模索していくのか、私たち社会には何ができるのかを、共に考えていきたいと思います。これは、今まさに苦しみの渦中にいる方々へ寄り添うと共に、すべての人がこの問題を「我が事」として捉えるための一助となることを願う、祈りの記録です。
おすすめ1. 突然の悲劇:事件直後に襲いかかる心理的衝撃
事件発生の報せは、多くの場合、何の心の準備もないまま家族の元に届きます。その瞬間から、家族は現実とは思えない悪夢の中に突き落とされます。

1.1. ショックと否認:「何かの間違いであってほしい」
最初の反応として現れるのが、強いショック状態と現実の否認です。
- 感覚の麻痺:目の前で起きていることが信じられず、感情が湧かない、涙も出ないといった状態に陥ることがあります。[1][2] まるで自分だけが分厚いガラスの向こう側から世界を眺めているような、非現実感に苛まれます。
- 情報の混乱:断片的に入ってくる情報に頭が追いつかず、何が真実なのかを正しく認識することが困難になります。警察からの連絡、病院からの呼び出し、鳴り止まない電話…その全てが、悪夢の一部のように感じられるのです。
- 否認:「何かの間違いだ」「人違いに違いない」と、事実を受け入れることを無意識に拒絶します。これは、あまりにも過酷な現実から心を守るための、自然な防衛反応なのです。[3]
ある日突然、息子さんを傷害致死事件で亡くされた廣瀬小百合さんは、当時の心境を「ベッドに横たわった息子の顔には傷はなく、すやすやと眠っているようで安心しました。しかし、医師からは『残念ながら、手の施しようがありません』と告げられました。それからの記憶はありません」と語っています。[4] このように、記憶が飛んでしまうほどの強烈な精神的打撃を受けることも少なくありません。
1.2. 怒りと絶望:「なぜ、うちの家族が」
現実を少しずつ認識し始めると、次に襲ってくるのが、行き場のない激しい怒りと深い絶望感です。
- 加害者への怒り:理不尽に家族の命や平穏を奪った加害者に対し、殺意にも似た激しい憎悪が湧き上がります。「なぜあんな人間が存在するのか」「同じ苦しみを味わわせてやりたい」という感情は、自然なものです。[3]
- 社会や司法への不信感:なぜ事件を防げなかったのかという社会システムへの怒りや、捜査や裁判の過程で感じる無力感から、警察や司法に対する根深い不信感が生まれることもあります。[5][6]
- 神や運命への呪い:「なぜ、うちの家族でなければならなかったのか」という問いは、答えのない問いとして、家族の心を苛み続けます。真面目に生きてきた人生を全否定されたような感覚に陥り、世界そのものが色褪せて見えるようになります。
2. 長く続く心の痛み:トラウマと複雑な感情
事件直後の急性期を過ぎても、心の傷は決して癒えることはありません。むしろ、時間の経過と共にその痛みは形を変え、より複雑な形で家族を苦しめ続けます。

2.1. PTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状
犯罪被害は、心に深刻なトラウマ(心的外傷)を残し、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症することが少なくありません。[2] 主な症状には以下のようなものがあります。
- 再体験(フラッシュバック):事件の記憶が、本人の意思とは関係なく、突然鮮明によみがえります。事件現場の光景、音、匂いなどが五感を伴って再現され、まるで再び事件を体験しているかのような恐怖に襲われます。[1]
- 回避:事件を思い出させる場所、人、会話などを無意識に避けるようになります。事件現場に近づけない、関連するニュースが見られない、人と会うのが怖いといった行動は、生活に大きな支障をきたします。[1]
- 過覚醒:常に神経が張り詰めた状態になり、些細な物音に驚く、眠れない、イライラしやすくなる、集中できないといった症状が現れます。[1]
- 否定的感情と認知の変化:「自分は無力だ」「誰も信じられない」といった否定的な考えに囚われたり、感情が麻痺して喜びや愛情を感じられなくなったりします。[1]
これらの症状は、日常生活のあらゆる場面で家族を苦しめ、社会から孤立させていく要因となります。
2.2. 悲嘆(グリーフ)のプロセス
家族を失った遺族は、悲嘆(グリーフ)という、愛する人を失ったことによる自然で正常な反応のプロセスを歩みます。[7] しかし、犯罪による突然で理不尽な死別は、この悲嘆のプロセスをより複雑で長期的なものにします。[3]
- 罪悪感と後悔:「あの時、もっと早く帰宅させていれば」「あの時、電話に出ていれば」など、自分を責める気持ち(自責の念)に苛まれます。[3] 論理的には自分のせいではないと分かっていても、「もしかしたら助けられたのではないか」という後悔の念が、繰り返し心を苛むのです。
- 孤立感:周囲の人々との間に、決して埋めることのできない深い溝を感じるようになります。同じ経験をした者でなければ本当の苦しみは分からないという思いから、「誰も自分の気持ちを理解してくれない」と心を閉ざし、孤立を深めていくことがあります。[3]
- アイデンティティの喪失:「○○ちゃんの親」「○○さんの妻」といった、被害者との関係性の中で成り立っていた自己のアイデンティティが揺らぎ、「自分は何者なのか」という問いに直面します。
世田谷一家殺害事件の遺族である入江杏さんは、「悲しみは乗り越えるものではない」と語ります。[8] 無理に忘れようとするのではなく、悲しみを抱えたまま、故人との新しい関係性を築き、人生を再構築していくことが求められるのです。
3. 家族関係の変化とそれぞれの苦悩
一つの犯罪は、家族という共同体のあり方を根底から覆します。悲しみの表現方法や対処の仕方の違いから、家族間ですれ違いが生じ、関係が悪化してしまうことも少なくありません。[1]

3.1. 夫婦間の亀裂
- 悲しみの表出の違い:例えば、感情をストレートに表現する妻と、内にこもる夫といったように、悲しみの表現方法が異なると、互いに「なぜ私の気持ちを分かってくれないのか」と不満を抱きやすくなります。
- 責任のなすりつけ合い:極限状態の中で、無意識にお互いを責めてしまうことがあります。「あなたのしつけが悪かったから」「あなたがあの時…」といった言葉が、取り返しのつかない亀裂を生むこともあります。
- 性的な関心の喪失:深いトラウマや悲しみは、性的な欲求を減退させることがあり、夫婦関係の疎遠につながるケースも見られます。
3.2. 残された子供(きょうだい)の心理
親が亡くなった被害者にばかり関心を寄せることで、残されたきょうだいは深い疎外感や罪悪感を抱えることがあります。[9]
- 「良い子」でいようとするプレッシャー:「親に心配をかけてはいけない」と自分の感情を押し殺し、過剰に「良い子」を演じてしまうことがあります。[10]
- 罪悪感:「自分だけが生き残ってしまった」というサバイバーズ・ギルトや、「亡くなった兄(姉・弟・妹)のように、親を喜ばせることができない」といった罪悪感に苦しむことがあります。
- 周囲からの無理解な言葉:「あなたが親を支えなさい」「お兄ちゃん(お姉ちゃん)の分まで頑張って生きなさい」といった励ましの言葉が、逆にきょうだいを追い詰めることがあります。[10][11] 遺族の一員であるはずなのに、その悲しみを軽視されているように感じ、深く傷つくのです。[11]
ある犯罪被害者の妹は、手記の中で「兄弟を亡くした悲しさは、子供を亡くした悲しさよりも軽いのだろうか?」と、周囲の言葉に深く傷ついた経験を綴っています。[11] きょうだいもまた、親とは異なる形で、深刻な心の傷を負っていることを理解する必要があります。
3.3. 子供への影響
犯罪被害は、目撃した子供や、家族の異変を敏感に察知した子供の心にも大きな影響を及ぼします。[12]
- 赤ちゃん返り:おねしょや指しゃぶりなど、年齢にそぐわない行動が見られることがあります。
- 行動の変化:攻撃的になったり、逆に無気力になったり、一人でいることを極端に怖がったりします。[12]
- 身体症状:頭痛や腹痛など、原因の分からない身体の不調を訴えることがあります。[12]
子供は自分の感情をうまく言葉にできないため、行動の変化としてSOSを発している場合があります。大人がそのサインを見逃さず、安心できる環境を提供し、専門家の助けを借りることが重要です。[12][13]
おすすめ4. 社会が与える第二の傷:「二次被害」
犯罪被害者家族をさらに苦しめるのが、二次被害です。[14][15] これは、事件そのものではなく、その後に周囲の人々や社会から受ける無理解や心ない言動によって、再び傷つけられることを指します。[1][14]

4.1. マスメディアによる過剰な取材・報道
- プライバシーの侵害:自宅に押しかけ、執拗にインターホンを鳴らす、子供にまでマイクを向けるといった強引な取材は、家族の平穏を著しく侵害します。[16]
- 事実と異なる報道:憶測に基づいた記事や、被害者側に落ち度があったかのような報道は、家族の名誉を傷つけ、深い苦痛を与えます。[16]
- フラッシュバックの誘発:事件を繰り返し報道されることで、その度に辛い記憶が呼び覚まされ、トラウマ症状が悪化することがあります。
4.2. 周囲の無理解と心ない言葉
悪意のない励ましの言葉でさえ、被害者家族を深く傷つけることがあります。[14][16]
- 安易な励まし:「頑張って」「早く忘れた方がいい」「時間が解決してくれる」といった言葉は、「この苦しみは誰にも分からない」と感じている家族にとって、無責任で空虚に響きます。[14]
- 興味本位の質問:「犯人はどんな人だったの?」「その時どうだったの?」といった詮索は、家族に事件を何度も思い出させ、精神的負担を強いることになります。
- 被害者への責任転嫁:「夜道を一人で歩いていたから」「派手な格好をしていたから」など、被害者にも原因があったかのような発言は、家族を二重に苦しめます。
4.3. 捜査・裁判過程での精神的負担
- 繰り返し事件を説明する苦痛:警察、検察、弁護士、裁判所など、様々な場面で何度も事件の詳細を話さなければならず、その度に辛い記憶と向き合うことを強いられます。[15]
- 司法への失望:加害者の人権ばかりが尊重され、被害者の尊厳が軽んじられていると感じることや、思うような判決が出なかった時の絶望感は、司法への深い不信につながります。[6]
これらの二次被害は、被害者家族の回復を妨げる大きな要因となります。[17] 私たち一人ひとりが、自分の言動が意図せず誰かを傷つける可能性があることを自覚し、想像力をもって接することが求められます。
おすすめ5. 回復への長い道のり:支援とつながりの重要性
深い闇の中にいる被害者家族にとって、回復への道のりは決して平坦ではありません。しかし、一人ではないと感じられること、適切な支援とつながることが、一歩を踏み出すための大きな力となります。

5.1. 利用できる公的支援制度
犯罪被害者やその家族を支えるための公的な制度があります。一人で抱え込まず、まずは相談することが大切です。
- 犯罪被害者等給付金制度:殺人などの故意の犯罪行為により亡くなった被害者の遺族や、重傷病を負った被害者に対し、国が給付金を支給する制度です。[5][18][19] 精神的・経済的打撃の緩和を目的としています。[18]
- 法テラス(日本司法支援センター):経済的な理由で弁護士に相談できない場合に、無料の法律相談や弁護士費用の立替えを行っています。[20]
- 公営住宅への優先入居:事件が起きた家に住めなくなった場合などに、公営住宅へ優先的に入居できる制度を設けている自治体もあります。[20]
- 警察の被害者支援:警察には、被害者からの相談に応じる「被害者支援連絡協議会」や、捜査状況などを連絡する「被害者連絡制度」があります。また、カウンセリング費用の公費負担制度なども整備されています。[13][21]
5.2. 相談窓口と民間支援団体
各都道府県には、犯罪被害者のための相談窓口や民間の支援団体があります。
- 各都道府県の犯罪被害者支援センター:電話相談や面接相談、カウンセリング、裁判所への付き添い支援など、被害直後から長期にわたって途切れることのない支援を無償で行っています。[20]
- 自助グループ(セルフヘルプ・グループ):同じような経験をした遺族が集まり、互いの気持ちを分かち合い、支え合う場です。自分の体験を語ることで、孤立感が和らぎ、回復への力を得ることができます。[4] 廣瀬小百合さんは、同じように子供を亡くした遺族と出会い、「初めて、心のうちを分かり合える人に出会えたと実感しました」と語っており、これが自助グループ「一歩の会」の設立につながりました。[4]
5.3. 周囲の人にできること
私たち一人ひとりにできる支援は、決して特別なことではありません。
- ただ、そばにいること:無理に励ましたり、アドバイスをしたりする必要はありません。ただ静かに寄り添い、相手が話したいときには耳を傾ける(傾聴する)姿勢が、何よりの支えとなります。[22]
- 具体的な手伝いを申し出ること:食事の差し入れや買い物の代行、子供の世話など、日常生活の中での具体的なサポートは、心身ともに疲弊している家族にとって大きな助けとなります。[22]
- 忘れないこと:事件が風化し、世間の関心が薄れても、家族の悲しみは続きます。命日や記念日に連絡を入れるなど、「あなたのことを忘れていない」というメッセージを伝え続けることが大切です。
- 正しい知識を持つこと:二次被害を防ぐためにも、犯罪被害者が置かれている状況や心理状態について、正しい知識を持つよう努めることが重要です。[16][17]

おわりに
犯罪被害者家族の心の旅は、終わりなき悲しみと向き合い続ける、長く険しい道のりです。失われた命が戻ることはなく、傷が完全に癒える日も訪れないかもしれません。
しかし、手記を寄せたある遺族はこう語ります。
「不幸な事件ではありましたが、わたしたちは、とても恵まれていたということです。…大勢の方の支援は本当に心強く、勇気づけられました。」[10]
絶望の淵にあっても、人とのつながりの中に希望の光を見出すことはできます。私たち社会に求められているのは、彼らの痛みに共感し、静かに寄り添い、そして決して忘れないという姿勢です。
もしあなたの周りに苦しんでいる方がいたら、そっと手を差し伸べてください。もしあなたが今、苦しみの渦中にいるのなら、どうか一人で抱え込まないでください。あなたを支えたいと願っている人々が、必ずいます。
すべての被害者家族が、深い悲しみを抱えながらも、再び穏やかな日々を取り戻せる社会となることを、心から願ってやみません。
【参考ウェブサイト】
- npa.go.jp
- umin.jp
- npa.go.jp
- city.kurume.fukuoka.jp
- shizuoka-hhsc.jp
- npa.go.jp
- nnvs.org
- halmek.co.jp
- npa.go.jp
- npa.go.jp
- pref.fukushima.jp
- umin.jp
- npa.go.jp
- city.hita.oita.jp
- miyazaki-shien.or.jp
- chibacvs.gr.jp
- pref.oita.jp
- pref.aichi.jp
- npa.go.jp
- nnvs.org
- gov-online.go.jp
- kidsinfost.net
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