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スポーツ界の暴力はなぜなくならない?指導者と選手の心理に迫り、根絶への道を徹底解説

高校野球の指導者
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はじめに:輝かしい汗の裏に隠された暴力の現実

スポーツは、私たちに感動や勇気を与え、心身の健全な育成に寄与する文化です。しかし、その輝かしい世界の裏側で、長年にわたり深刻な問題が横たわっています。それが、指導者から選手へ、あるいは選手間で行われる「暴力」です。

2012年に大阪市立桜宮高校バスケットボール部の主将が顧問の体罰を苦に自ら命を絶った事件や、2013年に発覚した女子柔道日本代表での暴力問題は、社会に大きな衝撃を与えました。[1][2][3] これらを契機に、日本スポーツ協会(JSPO)などが「スポーツ界における暴力行為根絶宣言」を発表し、根絶に向けた取り組みが進められてきました。[3][4] しかし、その後も指導者による暴力やハラスメントのニュースは後を絶たず、問題の根深さを物語っています。

なぜ、スポーツの現場から暴力はなくならないのでしょうか。それは単なる個人の資質の問題だけでなく、スポーツ界特有の構造や、関係者の心理状態が複雑に絡み合っているからです。本記事では、「スポーツ界」「暴力」「心理」をキーワードに、この問題の核心に迫ります。暴力が生まれる心理的メカニズム、選手に与える深刻な影響、そして、この負の連鎖を断ち切るために、私たち一人ひとりができることは何かを徹底的に考察していきます。

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第1章:なぜ指導者は手を上げてしまうのか?暴力の背景にある心理的要因

指導者が選手に暴力を振るう背景には、様々な心理的要因が存在します。それらは決して単純な「悪」の一言で片付けられるものではなく、複雑な思い込みやプレッシャーが絡み合っています。

監督の指導

1-1. 「勝利至上主義」が生み出す歪んだ心理

スポーツの世界では、「勝つこと」が絶対的な価値を持つという「勝利至上主義」が根強く存在します。[5] 勝利のためには手段を選ばないという考え方が、指導者に過度なプレッシャーを与え、暴力を「必要悪」として正当化させる心理的土壌となり得ます。[5][6]

  • 結果への固執と焦り: 試合に勝てない、選手が期待通りに成長しないといった状況で、指導者は強い焦りや無力感に襲われます。その感情のコントロールができなくなった結果、短絡的な手段である暴力に訴えてしまうのです。[5]
  • 「愛のムチ」という名の自己正当化: 多くの指導者は、自身の暴力行為を「選手のため」「愛情表現の一環」と捉えようとします。[7] 「本気で向き合っているからこそ厳しくする」という論理で自己の行為を正当化し、罪悪感を麻痺させているのです。しかし、これは指導を受ける選手側の視点を完全に無視した、一方的な思い込みに他なりません。

1-2. 指導者の知識・指導力不足とアンガーマネジメントの問題

暴力に頼る指導者は、科学的根拠に基づいた効果的な指導法を知らない、あるいは学ぶ機会がなかったというケースも少なくありません。[5][6]

  • 指導方法の引き出しの少なさ: 練習がうまくいかない時、言葉で論理的に説明し、選手の自主性を引き出すような指導スキルが不足しているため、安易に恐怖で選手を支配しようとします。[5] 過去に自身が受けた指導法を無批判に踏襲し、それ以外の方法を知らない指導者も多いのが実情です。[8]
  • 感情のコントロール不全: 指導がうまくいかない苛立ちや、私生活でのストレスなどをコントロールできず、立場の弱い選手にぶつけてしまう「感情爆発型」の指導者も存在します。[7] これはアンガーマネジメントの問題であり、指導者以前に一人の社会人としての課題と言えます。

1-3. 「体罰は効果的」という危険な思い込み

過去に自身が体罰を受けて強くなったという経験を持つ指導者は、「体罰は競技力向上に効果的である」という誤った信念(体罰効果性認知)を抱きやすいことが研究で指摘されています。[9]

  • 成功体験の呪縛: 「自分も殴られてきたから今の自分がある」という成功体験が、暴力的な指導を肯定する強力な根拠となってしまいます。しかし、体罰によって選手は萎縮し、自発性や創造性が失われるため、長期的に見ればパフォーマンスに悪影響を及ぼすことが心理学的にもわかっています。[1][10]
  • 原因の誤った帰属: 過去に体罰を受けた後に試合に勝ったとしても、その勝利の原因が本当に体罰にあったのかは科学的に証明できません。[9] にもかかわらず、「体罰のおかげで勝てた」と原因を誤って結びつけてしまうことで、体罰への肯定的な認識が強化されてしまうのです。[9]

1-4. 閉鎖的な環境が生む権力構造

スポーツチーム、特に学校の部活動などは、指導者と選手の間に絶対的な上下関係が生まれやすい閉鎖的な空間です。[5]

  • 外部の目が入らない環境: 練習内容や指導者の言動が外部から見えにくいため、暴力が起きても問題が表面化しにくく、指導者の権力が絶対化しやすくなります。[5] 保護者でさえ、「勝たせてくれる指導者」として暴力を容認してしまうケースもあります。[5]
  • 支配と服従の関係: 指導者は試合のメンバー選考や、場合によっては選手の進路にまで影響力を持つため、選手は理不尽な指導にも声を上げにくくなります。[5] この支配的な関係性が、暴力の温床となるのです。
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第2章:選手の心に刻まれる深い傷跡 – 暴力がもたらす心理的影響

指導者による暴力や暴言は、選手の身体だけでなく、心にも深刻で長期的なダメージを与えます。その影響は競技人生だけでなく、その後の人生全体に及ぶことも少なくありません。

うつむいているアスリート

2-1. 短期的な影響:パフォーマンスの低下と精神的な不安定

暴力や高圧的な指導は、選手の心理状態を著しく悪化させ、結果として競技パフォーマンスの低下を招きます。

  • 萎縮と恐怖によるプレーの制限: 指導者の顔色をうかがい、ミスを恐れるあまり、選手はのびのびとしたプレーができなくなります。[1][10] 挑戦的なプレーを避け、消極的になることで、本来持っているはずの能力を発揮できなくなるのです。
  • 集中力の散漫と判断力の低下: 常に緊張や不安に晒されることで、プレーへの集中力が削がれます。また、罰を恐れる心理は視野を狭め、創造的なプレーや瞬時の的確な判断を妨げることが実験でも示されています。[1]
  • 燃え尽き症候群(バーンアウト): スポーツをすること自体が苦痛となり、楽しさや喜びを感じられなくなります。[11] 過度な精神的ストレスは、選手の情熱を奪い、競技から離れる原因となります。

2-2. 長期的な影響:トラウマと心身の不調

暴力の経験は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)をはじめとする深刻な精神疾患につながる可能性があります。

  • フラッシュバックと対人恐怖: 暴力の場面が突然蘇るフラッシュバックに悩まされたり、指導者や権威的な人物に対して強い恐怖を感じるようになったりします。[2] 人を信じることができなくなり、社会生活に支障をきたすケースも少なくありません。
  • うつ、不安障害: 自尊心を深く傷つけられた経験は、うつ病や不安障害の発症リスクを高めます。[12] 「自分はダメな人間だ」という無力感が心に根付き、生きる気力さえ失わせてしまうことがあります。実際に、指導者の暴言が原因で自ら命を絶つという痛ましい事件も起きています。[2]
  • 摂食障害や自傷行為: カナダで行われた調査では、アスリートへの心理的虐待が、摂食障害や自傷行為のリスクと関連していることが報告されています。[13] 自分自身を傷つけることでしか、心の痛みを表現できなくなってしまうのです。

2-3. スポーツそのものへの失望と人間不信

暴力的な指導は、選手からスポーツの楽しさや価値を根本から奪い去ります。

  • スポーツ嫌い: 本来は喜びや自己表現の場であるはずのスポーツが、苦痛と恐怖の対象に変わってしまいます。[10][11] その結果、生涯にわたってスポーツを避けるようになることもあります。
  • 歪んだ人間関係の学習: 指導者との関係を通じて、「強い者が弱い者を支配するのは当然だ」という歪んだ人間関係のモデルを学習してしまいます。これが、後に述べる「暴力の連鎖」につながる一因ともなります。

第3章:負の連鎖はなぜ起きるのか?暴力の世代間伝達

スポーツ界における暴力問題の根深さを示す特徴の一つが、「暴力の連鎖」です。かつて暴力的な指導を受けた選手が、指導者になった際に自身の選手に同じように暴力を振るってしまうという負のサイクルです。[2][8]

サッカーの指導者

3-1. 被害者が加害者になる心理メカニズム

この連鎖の背景には、いくつかの心理的メカニズムが働いています。

  • モデリング(模倣): 人は他者の行動を観察し、模倣することで行動を学習します。選手時代の指導者は、最も身近な「指導者のモデル」です。そのため、暴力的な指導しか知らない選手は、それが指導の一つの方法であると無意識のうちに学習してしまいます。
  • 「攻撃者との同一視」: 精神分析の概念で、強い恐怖や無力感に晒された被害者が、その状況を乗り越えるために、無意識のうちに自分を傷つけた攻撃者と同じような考え方や行動をとるようになる心理的防衛機制です。自分が受けた痛みを他者に与えることで、過去の無力な自分から脱却しようとするのです。
  • 体罰容認意識の内面化: 前述の通り、体罰を受け続けた結果、「体罰は必要だ」という考えを内面化してしまうことがあります。[9] 被害者であったにもかかわらず、暴力を肯定する側に回ってしまうのです。元女子バレーボール日本代表の益子直美さんが、自身の経験から「(暴力の)連鎖をどこかで食い止めないといけない」と語っているように、この連鎖を自覚し、断ち切る強い意志が必要です。[2][11]

3-2. 連鎖を助長する周囲の環境

暴力の連鎖は、個人の心理だけで起こるのではありません。それを容認し、見て見ぬふりをする周囲の環境も、連鎖を助長する大きな要因です。

  • 傍観者の沈黙: チームメイトや保護者が暴力に気づいていながら、「自分には関係ない」「逆らったら自分の子どもが不利益を被る」といった理由で沈黙してしまうことがあります。[14] この沈黙は、指導者の暴力を事実上容認することになり、加害行動をエスカレートさせることにつながります。
  • 「伝統」という名の暴力の正当化: 「うちのチームは昔からこうやってきた」「厳しい練習に耐えてこそ一人前」といった「伝統」や「文化」を理由に、暴力が正当化されることがあります。[1] 新しい指導者が暴力に頼らない指導をしようとしても、OBや保護者から「甘い」と批判されるといったケースもあります。
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第4章:暴力の連鎖を断ち切るために – 私たちにできること

スポーツ界から暴力を根絶するためには、指導者個人の努力だけでなく、組織、保護者、そして社会全体が一体となって取り組む必要があります。

喜んでいるアスリートたち

4-1. 指導者に求められる変革

暴力の根絶は、まず指導者の意識改革とスキルアップから始まります。

  • 最新のコーチング理論の学習: 暴力や精神論に頼るのではなく、スポーツ心理学や発育発達に関する科学的知見に基づいた指導法を学ぶことが不可欠です。[5] 日本スポーツ協会などが提供する指導者養成講習会などに積極的に参加し、常に学び続ける姿勢が求められます。[6]
  • アンガーマネジメントの実践: 自身の感情の波を理解し、怒りをコントロールする技術を身につけることが重要です。[7] イラっとした時に一呼吸置く、怒りの原因を客観的に分析するなど、具体的なテクニックを学ぶことが有効です。
  • コミュニケーション能力の向上: 選手一人ひとりと対話し、個性を理解し、信頼関係を築くことが、暴力に頼らない指導の第一歩です。選手の意見に耳を傾け、自主性を尊重する姿勢が、選手の成長を真に促します。

4-2. 組織・団体が果たすべき役割

個々の指導者に任せるだけでなく、組織的な取り組みが暴力根絶の鍵を握ります。

  • 相談窓口の設置と周知徹底: 被害者が安心して声を上げられるよう、実効性のある相談窓口を設置し、その存在を全ての選手や保護者に周知することが急務です。[4][15] 日本スポーツ振興センター(JSC)や各競技団体が設置する窓口の活用も重要です。[15]
  • ガバナンスの強化と厳格な処分: 暴力行為が発覚した場合、組織として事実関係を徹底的に調査し、加害者に対しては厳格な処分を下す必要があります。[16] 問題を隠蔽したり、内々で処理したりする体質は、暴力の温床となります。
  • 指導現場の透明化: 練習を保護者や外部の人間に対してオープンにすることで、閉鎖的な環境を防ぎ、指導者の独善的な行動にブレーキをかけることができます。[5]

4-3. 保護者・選手の意識と行動

指導者や組織だけでなく、保護者や選手自身も当事者としての意識を持つことが大切です。

  • 保護者の役割: 「勝利」だけを指導者に求めるのではなく、子どもがスポーツを楽しみ、健全に成長できる環境かどうかを重視する視点が必要です。[5] 指導者の言動に疑問を感じた場合は、一人で抱え込まず、他の保護者と連携したり、相談窓口に連絡したりする勇気が求められます。
  • 選手のエンパワーメント: 選手自身が「暴力は決して許されない」という権利意識を持つことが重要です。理不尽なことに対しては、勇気を持って「ノー」と言うこと、信頼できる大人に相談することの大切さを、周囲の大人が伝えていく必要があります。
試合に勝って喜んでいる様子

おわりに:真のスポーツマンシップが宿る場所へ

スポーツにおける暴力は、選手の心身を傷つけ、その未来の可能性を奪う、決して許されない行為です。[3] 勝利至上主義、指導者の未熟さ、閉鎖的な環境、そして暴力の連鎖といった根深い問題が、今もなおスポーツ界に影を落としています。

しかし、この問題は決して乗り越えられない壁ではありません。指導者が自らの指導法を見つめ直し、科学的で肯定的なアプローチを学ぶこと。組織が透明性を確保し、被害者を守るシステムを構築すること。保護者や選手が声を上げ、傍観者にならないこと。そして社会全体が、スポーツにおける暴力は「愛のムチ」などではなく、単なる「人権侵害」であると認識を新たにすること。[2]

これらの取り組みが一つひとつ積み重なった先にこそ、暴力の連鎖が断ち切られ、全ての人が安心してスポーツを楽しみ、その本来の価値を享受できる未来があります。汗と涙が、恐怖や苦痛ではなく、喜びと成長の証となる。そんな真のスポーツマンシップが宿る場所を、私たち全員の力で築いていかなければなりません。

【参考ウェブサイト】
  1. psych.or.jp
  2. hrw.org
  3. joc.or.jp
  4. japan-sports.or.jp
  5. jfa.jp
  6. japan-sports.or.jp
  7. japan-sports.or.jp
  8. voista.jp
  9. asahi.com
  10. nii.ac.jp
  11. jssp.jp
  12. note.com
  13. sndj-web.jp
  14. academist-cf.com
  15. mext.go.jp
  16. sn-hoki.co.jp
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