
導入:あなたの「記憶」、本当に信じられますか?
「家の鍵、かけたっけ?」と不安になったり、友人との思い出話で「え、そんなことあった?」と食い違ったりした経験は誰にでもあるでしょう。[1] 日常的に起こる些細な記憶違い。[1][2] しかし、これがもし、人の人生を左右する刑事裁判の場であったならどうでしょうか。
「あの男が犯人です。間違いありません」。法廷に響く、自信に満ちた目撃者の証言。これほど強力な証拠はないように思えます。しかし、その「確かな記憶」が、実は非常に脆く、意図しない形で歪められてしまうことがあるとしたら…?
実際に、誤った目撃証言によって無実の人が罪に問われる「冤罪事件」は、後を絶ちません。[3][4][5] アメリカの研究では、DNA鑑定によって無罪が証明された事件の約7割に、誤った目撃証言が関与していたという衝撃的なデータもあります。[3][6] これは決して他人事ではありません。誤った目撃証言は、無実の人を罰するだけでなく、真犯人を取り逃がし、社会に新たな脅威を残す「二重の悲劇」を生むのです。[3]
なぜ、人の記憶はこれほどまでに不確かなのでしょうか? なぜ、自信と正確さは比例しないのでしょうか?
この記事では、認知心理学や司法心理学の知見をもとに、「記憶」と「目撃証言」の不思議で奥深い世界へご案内します。まず、私たちの脳がどのように物事を記憶するのか、その基本的なメカニズムから探ります。そして、目撃証言がどのような心理的要因によって歪められてしまうのかを、「ウェポン・フォーカス効果」や「事後情報効果」といった具体的な現象を通して解き明かしていきます。
さらに、実際に起きた有名な冤罪事件を取り上げ、目撃証言がいかに危ういものであるかを具体的に見ていきます。しかし、ただ記憶の不確かさを嘆くだけではありません。科学の力で証言の信憑性を高めようとする「認知インタビュー」といった最新の取り組みについても詳しくご紹介します。
この記事を読み終える頃には、あなたは「記憶」というものを見る目が変わり、ニュースで報じられる事件の裏側を、より深く理解できるようになっているはずです。そしてそれは、あなた自身の記憶と、より賢く付き合っていくためのヒントにもなるでしょう。
第1章:記憶の不思議なメカニズム ~脳はすべてを記録しているわけではない~

私たちの記憶は、よくビデオカメラに例えられます。見たもの、聞いたものをそのまま録画・録音し、必要な時に再生する。しかし、心理学の研究は、この考え方が根本的に間違っていることを示しています。[7] 人間の記憶は、経験を積極的に再構成し、再解釈するプロセスであり、決して完璧な記録装置ではないのです。[7]
記憶のプロセスは、大きく分けて3つの段階で成り立っています。
- 符号化(記銘):情報を覚える
これは、外部からの刺激(見たもの、聞いたこと)を、脳が処理できる情報形式に変換して取り込む段階です。[8][9][10][11] 例えば、初めて会った人の顔や名前を覚えようとするとき、私たちはその人の特徴や名前の響きといった情報を「符号化」しています。この時、意図的に覚えようとすること(精緻化)や、他の知識と関連付けることで、記憶はより強固になります。[12] - 貯蔵(保持):情報を保つ
符号化された情報は、脳の中に保存されます。[8][9][10][11] この貯蔵庫には、数十秒程度しか持たない「短期記憶」と、長期間情報を保持する「長期記憶」の2種類があると考えられています(二重貯蔵モデル)。[9] 短期記憶にある情報のうち、重要だと判断されたものや、何度も繰り返されたもの(リハーサル)が長期記憶へと転送されます。 - 想起(検索):情報を思い出す
貯蔵されている情報を、必要な時に取り出す段階です。[8][9][10][11] 「あの人の名前なんだっけ?」と思い出す「再生」や、写真を見て「この人知ってる」とわかる「再認」などがあります。[10] この「思い出す」という行為自体が、実は記憶を再構築する作業であり、そのたびに記憶が少しずつ変容する可能性があるのです。[13]
重要なのは、この「符号化」「貯蔵」「想起」のすべての段階で、エラーが起こりうるという点です。事件を目撃した瞬間(符号化)、証言するまでの間(貯蔵)、そして警察官や法廷で話す時(想起)、様々な要因が私たちの記憶に影響を与え、元の出来事とは異なる「新しい記憶」を作り出してしまう可能性があるのです。[14][15][16]
第2章:目撃証言はなぜ歪むのか?記憶を狂わせる7つの心理的罠
事件や事故という非日常的な状況下で、私たちの記憶は普段以上に多くのエラーを起こしやすくなります。ここでは、目撃証言の信頼性を著しく低下させる可能性のある、代表的な心理学的要因を7つご紹介します。

1. ウェポン・フォーカス効果(凶器注目効果)
犯人がナイフや拳銃などの凶器を持っている場合、目撃者の注意は強烈にその凶器へと引きつけられます。[14][15][17] その結果、最も重要なはずの犯人の顔や服装といった他の情報への注意が疎かになり、正確に記憶できなくなる現象です。[14][15] これは、強いストレスや恐怖によって注意の範囲が極端に狭まるために起こると考えられています。[14] 「凶器ははっきり覚えているのに、犯人の顔は思い出せない」という証言は、この効果の典型的な現れです。
2. 事後情報効果(誤情報効果)
事件を目撃した「後」に、外部から与えられた情報によって、元の記憶が汚染され、変容してしまう現象です。[7][18][19][20] 著名な心理学者エリザベス・ロフタスの実験が有名です。[18][21][22]
ロフタスは、交通事故の映像を被験者に見せた後、質問の仕方を変えました。
- Aグループ:「車が『激突した』時の速度は?」
- Bグループ:「車が『ぶつかった』時の速度は?」
結果、Aグループの方がBグループよりも車の速度を大幅に速く推定しました。[22][23][24] さらに1週間後、「割れたガラスはありましたか?」と聞くと、「激突」という言葉を聞いたグループの方が「はい」と答える割合が有意に高かったのです(実際にはガラスは割れていませんでした)。[20]
これは、捜査官の誘導的な質問や、事件に関するニュース報道、他人の噂話などが、目撃者の記憶を意図せず書き換えてしまう危険性を示唆しています。[18][23][24]
3. 偽りの記憶(False Memory)
事後情報効果がさらに進むと、全く経験していない出来事を、あたかも実際に体験したかのように鮮明に「思い出す」ことさえあります。これが「偽りの記憶」です。[24][25]
ロフタスは別の実験で、被験者の家族から聞いた本当の幼少期の思い出3つに、「5歳の時にショッピングモールで迷子になり、高齢の女性に助けられた」という偽りのエピソードを1つ混ぜて話しました。すると、被験者の約4分の1が、この偽りの出来事を「覚えている」と回答し、中にはその時の詳細を創作して語る人までいたのです。[24][25] 人の記憶がいかに暗示にかかりやすいかがわかります。
4. 無意識的転移
事件とは全く無関係の場所で以前見かけたことのある人物の顔を、犯人の顔として記憶してしまう現象です。[14] 例えば、事件直前に現場近くの店にいた店員の顔を、犯人の顔だと誤認してしまうケースがこれにあたります。目撃した顔の記憶は残っていても、その顔を「いつ、どこで見たか」という文脈情報が失われることで起こるエラーです。
5. 証言への自信と正確性の不一致
「絶対に間違いありません」という証言者の自信は、裁判員や裁判官に強い影響を与えます。しかし、心理学の研究では、証言の自信とその正確性との間には、必ずしも強い相関関係はないことがわかっています。[26] むしろ、捜査官から「あなたの証言のおかげで犯人が捕まりそうだ」といったフィードバックを受けると、証言への自信が不当に高まってしまう「識別後フィードバック効果」も指摘されています。[6][7]
6. ストレスと感情の影響
事件を目撃するという強烈なストレスは、記憶に複雑な影響を及ぼします。一般的に「驚いたのでよく覚えている」と思われがちですが、実験によれば、人は強い情動下では、かえって物事を正確に覚えていないことが多いとされています。[3] 記憶の中心的な出来事は強く印象付けられても、その周辺の詳細は抜け落ちやすくなるのです。[15]
7. 時間の経過
記憶は時間と共に薄れていきます。これはドイツの心理学者エビングハウスが発見した「忘却曲線」でよく知られています。事件から証言するまでの時間が長ければ長いほど、記憶の細部は失われ、曖昧になり、他の情報の影響も受けやすくなります。[14]
これらの要因は単独で、あるいは複合的に作用し、誠実な目撃者の記憶を、本人が気づかないうちに「真実とは異なる物語」へと書き換えてしまうのです。
第3章:証言台の悲劇 ~目撃証言が引き起こした冤罪事件~
理論だけでは、目撃証言の危うさは実感しにくいかもしれません。ここでは、日本で実際に起こり、誤った目撃証言が重大な役割を果たしたとされる有名な冤罪事件をいくつか見ていきましょう。

1. 足利事件(1990年〜)
栃木県足利市で幼女が殺害された事件。逮捕された菅家利和さんは、当初から一貫して無実を訴えていましたが、第一審では無期懲役の判決が下されました。有罪の決め手の一つとされたのが、「犯人らしき男と被害者の女児を見た」という目撃証言でした。
しかし、この証言は非常に曖昧で、供述内容も二転三転していました。証言者が目撃したとされる時間や場所、男の特徴などが客観的な事実と矛盾する点が多く指摘されていました。
最終的に、決め手とされたDNA型鑑定が、精度の低い方法で行われた旧式のものであったことが判明。最新技術による再鑑定で、菅家さんのDNA型と犯人のものが一致しないことが証明され、菅家さんは17年半もの服役の末、2010年に無罪が確定しました。この事件は、科学的証拠の重要性と、それに比べていかに目撃証言が不確かであるかを世に知らしめました。
2. 袴田事件(1966年〜)
静岡県で味噌製造会社の専務一家4人が殺害された事件で、元プロボクサーの袴田巌さんが逮捕されました。[27] この事件では、直接的な犯人の目撃証言はありませんでしたが、状況証拠と袴田さんの「自白」が有罪の根拠とされました。
しかし、事件から1年以上も経ってから、工場の味噌樽の中から血染めの「犯行着衣」とされる衣類が発見されるなど、捜査には多くの疑問点がありました。[27] 袴田さんは過酷な取り調べの末に自白に追い込まれたと訴え、公判では無実を主張しました。[27]
この事件においても、目撃証言の断片的な情報(例えば、事件前後の不審な人物の目撃など)が、捜査機関の「袴田犯人説」というストーリーを補強する形で利用された側面が指摘されています。2024年、静岡地裁は再審公判で袴田さんに無罪を言い渡し、長きにわたる闘いに一つの区切りがつきました。この事件は、捜査機関の思い込み(バイアス)が、いかに証拠の解釈を歪め、悲劇を生むかを示しています。
3. 飯塚事件(1992年〜)
福岡県飯塚市で2人の女児が殺害された事件で、久間三千年さんが逮捕され、死刑が確定・執行されました。[28] この事件でも、状況証拠とともに、複数の目撃証言が重要な役割を果たしました。女児たちと一緒にいたとされる男や、不審な車両の目撃情報などが、久間さんを犯人と結びつける根拠とされました。
しかし、これらの目撃証言もまた、曖昧で矛盾を抱えていました。目撃された男の身体的特徴が久間さんと異なっていたり、目撃された車の特徴が久間さんの車と完全に一致しなかったりしたのです。弁護側は、これらの証言の信用性に疑問を呈し続けましたが、裁判では認められませんでした。
足利事件と同様、DNA型鑑定の精度が争点となりましたが、再審請求は棄却され、死刑が執行されました。その後も支援者らによる無罪を求める活動が続いており、目撃証言の評価の難しさと、それが人の命を奪う結果にまで至ってしまう司法の重い課題を浮き彫りにしています。[3]
これらの事件に共通しているのは、一度「この人が犯人に違いない」というストーリーが作られると、それに合致するような曖昧な目撃証言が重視され、矛盾する事実は軽視されがちになるという危険な傾向です。誠実な目撃者でさえ、捜査官の誘導や報道によって、無意識のうちにそのストーリーに沿った「記憶」を形成してしまうことがあるのです。
第4章:真実に近づくために ~目撃証言の信憑性を高める科学的アプローチ~
目撃証言が持つ危うさを前に、私たちはただ手をこまねいているわけではありません。司法や警察、そして心理学の世界では、記憶の誤りを最小限に抑え、より正確な情報を引き出すための様々な研究と実践が進められています。[23][29] その中心的な取り組みが「認知インタビュー(Cognitive Interview)」です。

認知インタビューとは?
1980年代に米国の心理学者によって開発された、記憶のメカニズムに関する認知心理学の知見を応用した面接技法です。[30][31] 従来の尋問のように「はい」「いいえ」で答えさせる質問や、誘導的な質問を避け、目撃者がリラックスした状態で、自発的に記憶を再構成するのを手助けすることに主眼を置いています。[30][31][32]
認知インタビューでは、主に以下の4つのテクニックが用いられます。
- メンタル・リインステイトメント(心的状態の再現)
目撃者に、事件当時の状況をできるだけ詳しく思い出してもらいます。[16] 「現場の明るさはどうでしたか?」「何か音は聞こえましたか?」「その時、どんな気持ちでしたか?」といった質問を通して、事件当時の五感や感情を追体験させます。これにより、記憶が保存されている文脈(コンテクスト)が再現され、関連する記憶が引き出されやすくなります。[16] - レポート・エブリシング(すべてを話してもらう)
「こんな些細なことは関係ないだろう」と目撃者自身が判断してしまいがちな、断片的な情報でも、ためらわずにすべて話すよう促します。[31] 一見無関係に思える記憶の断片が、他の重要な記憶を呼び覚ますきっかけ(トリガー)になることがあるためです。 - リコール・イン・ディファレント・オーダー(順序を変えて話してもらう)
出来事を時系列に沿って話すだけでなく、例えば、終わりから始まりへと逆の順序で話してもらったり、最も印象に残っている場面から話してもらったりします。[33] いつもとは違う順序で記憶をたどることで、固定化されたストーリーから解放され、これまで気づかなかった新たな詳細を思い出すことがあります。 - チェンジ・パースペクティブ(視点を変えて話してもらう)
自分以外の視点、例えば、現場にいた他の人物や、道路の向かい側から見ていたらどう見えたか、といった異なる視点から出来事を想像して話してもらいます。これにより、新たな記憶の手がかりが見つかることがあります。
これらの技法は、目撃者の記憶への負担を減らし、捜査官の先入観が入り込むのを防ぎながら、より豊富で正確な情報を引き出すのに効果的であることが多くの研究で示されています。[33][34] 日本の警察でも、この認知インタビューの考え方を取り入れた聴取技術の研修が進められています。
その他にも、
- 面通し(ラインナップ)の改善:被疑者一人だけを見せるのではなく、複数の人物(ダミー)の中に混ぜて見せる、捜査官が誰が被疑者か知らない状態で実施する(ダブルブラインド法)など、先入観を排除する工夫。[26]
- 裁判員への啓発:裁判員裁判において、一般市民である裁判員に、目撃証言が持つ本質的な危うさについて、専門家が分かりやすく説明することの重要性。[3]
など、司法の現場では、心理学の知見を活かした様々な改革が進められています。
第5章:私たちの日常と「記憶」~賢く付き合うためのヒント~
これまで見てきたように、記憶の不確かさは、司法の場だけの特別な問題ではありません。私たちの日常生活もまた、記憶の危うさと隣り合わせです。[1][2] 友人との「言った、言わない」の水掛け論や、昔の思い出の食い違いは、誰かが嘘をついているのではなく、単なる記憶の変容プロセスの一部かもしれません。[1]
この事実を理解することは、他者との無用な対立を避け、より円滑な人間関係を築く助けになります。[1] また、自分自身の記憶についても、過信せずに客観的に見つめる視点を与えてくれます。
では、私たちは自分の記憶とどう向き合えば良いのでしょうか。
- 自分の記憶を疑う勇気を持つ:「絶対に正しい」という思い込みは、時に危険です。自分の記憶が間違っている可能性を常に頭の片隅に置いておく謙虚さが、他者への寛容さにつながります。
- 記録の重要性を認識する:重要な約束や出来事は、記憶だけに頼らず、メモや日記、写真などで記録に残す習慣をつけましょう。デジタルツールを活用するのも有効です。
- 他人の記憶を尊重する:自分と相手の記憶が食い違った時、相手を嘘つきと決めつける前に、「記憶は人それぞれ再構成されるものだ」という事実を思い出しましょう。
- 記憶のメカニズムを知る:この記事で紹介したような記憶の仕組みを知ることで、なぜ記憶違いが起こるのかを客観的に理解できるようになります。[13]
私たちの記憶は、脳が過去の経験を再構築し、未来の行動に応用するために最適化された、驚くほど柔軟で創造的なシステムなのです。[13] その不確かさは欠陥ではなく、人間らしさの証とも言えるのかもしれません。

結論:記憶の危うさを受け入れ、真実を希求し続ける
目撃証言は、事件解決のための貴重な手がかりであることに変わりはありません。[15][29] しかし、その証言が、目撃者本人も気づかないうちに様々な心理的要因によって汚染され、変容しうるという「危うい真実」から目を背けてはなりません。[14][23]
人間の記憶は、ビデオカメラのように過去を正確に記録するのではなく、経験した出来事をその都度再構築する、ダイナミックで創造的なプロセスです。[7] そこには、凶器に注意が奪われる「ウェポン・フォーカス効果」や、後から聞いた情報で記憶が書き換えられる「事後情報効果」、さらには全く体験していない「偽りの記憶」が生まれる隙が常に存在します。
足利事件や袴田事件といった痛ましい冤罪事件は、私たちに、目撃証言という「人の記憶」に過度に依存する司法の危険性を教えてくれました。[5] 一つの証言が、いかに簡単に人の運命を狂わせてしまうかを、私たちは決して忘れてはなりません。
しかし、希望もあります。心理学の発展は、記憶の誤りを防ぎ、より正確な情報を引き出すための「認知インタビュー」といった科学的な手法を生み出しました。[18][30] 司法の現場でこうした知見を活用し、客観的な証拠と慎重に照らし合わせることで、悲劇を未然に防ぐ努力が続けられています。[26]
この記事を通して、私たちは「記憶」というものの複雑さと奥深さ、そしてその脆さを学びました。この知識は、ニュースの向こう側にある事件の真相に思いを馳せるだけでなく、他者や自分自身の「記憶違い」をより深く理解し、寛容になるための助けとなるはずです。
あなたの記憶は、あなただけの真実の物語を紡いでいます。しかし、それは決して絶対不動のものではありません。その危うさを知ることこそが、私たち一人ひとりが、より慎重に、そして謙虚に真実と向き合うための第一歩なのです。
【参考ウェブサイト】
- waseda.jp
- awaisora.com
- niben.jp
- ritsumeihuman.com
- note.com
- note.com
- kotobank.jp
- psychology-effect.com
- x0.com
- goo.ne.jp
- psychology-effect.com
- uxdaystokyo.com
- studyhacker.net
- psychoterm.jp
- nii.ac.jp
- kuas.ac.jp
- psychologicnet.com
- fukuoka-u.ac.jp
- note.com
- jumonji-u.ac.jp
- kusuguru.co.jp
- saikolodsm.com
- uhe.ac.jp
- holos-brains.jp
- president.jp
- yuhikaku.co.jp
- nichibenren.or.jp
- niben.jp
- yokohama-tantei.jp
- issoh.co.jp
- teisei-ishin.co.jp
- nii.ac.jp
- jst.go.jp
- tayory.com
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